「上手な談志も下手な談志も談志」すべてさらして生きた四六時中芸人

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富士山の脇につくった「自分の山」

   国谷「28歳くらいで落語が廃れていくんじゃないかと思っている。真打ちになってこれからというときに、危機感を持っていたというのは不思議です」

   山藤「小さん師匠の門下になった昭和20年代の終わりのころは、昭和の名人、上手が百花繚乱だった。文楽、志ん生、可楽、三木助、金馬…。夢の世界に入ったはずなのに、最初の本で『師匠に教わったままをなぞっているだけじゃ時代に取り残される』と警告を発している。落語界というフィール ドを広く見ていたですね。これは感心しました」

   国谷「その頂を目指さずに外に出た。名人にもなれたでしょうに、何を考えていたんでしょう」

   山藤「私なりに考えると、目指すのは富士山じゃない。富士山にはもう昭和の名人のピラミッドができている。3番手、4番手につきたくない。追い越せもしないから、オレは現代に通用するものを作るぞと脇に自分の山を作った。立川流あるいは談志流という。弟子たちはみなそれに憧れて入っ てきた」

   国谷「夢は叶ったのでしょうか」

   山藤「と思いますね。優秀な弟子に恵まれましたしね。若手もあとを追っかけてるし」

   幕切れに談志最後の「芝浜」の下げ。「死神がよろしくいっておりましたんで(爆笑)、どうぞひとつ…。ありがとあんした」

   談志が好きだというヤツはへそ曲がりだ。「好き」とまではいかなかったが、言葉は耳にひっかかる。これこそが談志の真骨頂。「たが屋」が忘れられない。

ヤンヤン

NHKクローズアップ現代(2011年12月15日放送「人生は落語だ~立川談志が残したもの~」)

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