やはり間に合わなかった。女子フィギュアスケートの浅田真央の母・匡子さんが9日(2011年12月)早朝に肝硬変のため名古屋市内の病院で亡くなった。48歳。メインキャスターの小倉智昭は「お母さんの最後に間に合わなかった真央ちゃんの気持ちを考えると、痛ましい限りです」と話す。
高橋大輔「僕たちは何もしてあげることができない」
浅田はカナダのケベックで開幕したフィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルに進出し、08年以来3年ぶり3 度目の優勝を目指していたが、母親の病状急変でファイナルを欠場、急遽帰国した。
GPファイナルに出場している高橋大輔選手は「僕たちは何もしてあげることができないけど、お母さんとゆっくり向き合って欲しい。そして、またリンクに戻ってきて欲しい」と気遣う。会場に飾られた日の丸には絆という文字が書き込まれ、日本選手達は胸に喪章を付けてファイナルに挑戦した。コメンテーターの田中雅子(経営コンサルタント)は、「フィギアスケートは個人競技。でも、今回は他の選手たちがチーム・ジャパンとして頑張ると話している。それだけ浅田選手は尊敬されていたのだということを実感しました」と言う。
選手の母親たちの中心的存在
小倉「自分の子供がフィギア選手になれば、両親の負担も相当なものになっていたと思います」と語り、夏野剛(慶応大学特別招聘教授)は「リンクの外ではお母さん同士の交流が盛んです。衣装をどうしようとか、化粧の仕方はなど、いろいろな相談事や悩みが話し合われています。真央ちゃんのお母さんはその中心メンバーでした」と妙に詳しい。
小倉「オリンピックまでの道のりはさまざまなスケジュールをこなしていかなければならない。それが途中で中断されるという事態だけは避けなければ」
浅田も母の死はしばらく前から覚悟していたようだが…。