子どもを学校に戻した親も、戻さなかった親もつらい胸中を語る。東京電力・福島原発の事故で閉鎖されていた福島県南相馬市の5つの小中学校が、7か月ぶりに昨日17日(2011年10月)から再開された。しかし、帰って来た子はまだ全体の半分にも満たなかった。
学校は大丈夫でも通学路や自宅で高い放射線量
「ドキドキしている」「テンション上がっている」
久しぶりに登校した小学生たちは満面の笑顔で教室に入った。3人の子どもを車で送って来た大迫明美さんは「うれしいのですが、子どもの身体は大丈夫なのかなと日々葛藤ですね」と複雑な心境を語る。しばらく県外に避難していたが、子どもたちが帰りたい、先生や友達に会いたいという気持ちが強いので帰って来た。学校は再開されたものの、放射線の影響を考慮して、服装は長袖、長ズボン、帽子、マスク、それに線量計を持って、送迎も親の車でということだ。屋外での活動は2時間以内という制限もついている。
PTA会長の庄司一弘さんは戻さないことにした。妻と3人の子どもは50キロ離れた田村市の妻の実家に移っている。庄司さんは自宅に残り、保護者たちと学校の除染作業を進めて来た。学校そのものの線量は下がったが、自宅や通学路など周辺はまだ手放しで喜べるような状況ではないという。3人の子は戻りたいというが、夫婦で話し合ってそう決めた。妻の理香さんは「子どもたちに戻りたいといわれて戻せない状況にあるのは、正直つらい」と涙ぐむ。
正しい判断はどっちなのか
司会の羽鳥慎一「お母さん方の気持ちを聞いていてもつらいですね」
スピードスケート金メダリストの清水宏保「どれが正しい判断なのか分からないと思いますね」
城西国際大学非常勤講師の宮田佳代子は「戻した親御さんが本当に戻したかったのか、戻さなかった親御さんが本当に戻したくなかったのか、本意でないことが多いと思う」と親の胸中を察する。月刊誌『ゲーテ』編集長の舘野晴彦も「こんなところに子どもたちを帰さなければならない親の気持ちを考えるとたまらない」と話す。羽鳥も「非常に、これは、難しい判断ですね」というしか、言葉がない。