9月(2011年)に相次いで本州中部に上陸した台風12号、15号は、ともに記録的な豪雨で計100人を超える死者・不明を出した。その多くで避難指示に問題があったことがわかってきた。想定をはるかに超える自然の力に市民はどう身を守ったらいいのか。
和歌山・那智勝浦町「防災担当は1人」同時多発で手回らず
台風12号で63人が犠牲になった紀伊半島では、うち57人が危険が迫っていることを知らないままいきなり濁流や土砂にのまれていた。避難勧告・指示が遅れたり、出なかったところもあった。
和歌山・那智勝浦町の雨量は8月31日の降り始めから9月4日までに1093㍉にも達した。那智川と太田川のいたる所で土砂崩れや川の氾濫が起ったのは3日夜だ。町の防災担当は田代雅伸さん1人。3か所ある水位計の数字をにらんで、次々に避難勧告を出した。しかし抜け落ちがあった。那智川の井関地区は水位計より上流にある。データがなく避難勧告の目安がなかった。井関の自治防災代表の桑木野健介さんは、住民13人と保育所に避難していたが、危険だと判断して高台の小学校へ車で移動した。4日午前1時半だった。
「カーテンみたいな降り方だった」と桑木野さんはいう。町の避難指示が出たのは午前2時12分。 保育所近くの道路が崩壊したとの連絡を受けてからだった。その後、堤防が決壊して井関で15人が犠牲になった。保育所も人の背丈ほどの濁流にのまれた。
消防団から来る情報も田代さんには伝わらなかった。 田代さんは「同時多発で人手が足らず、態勢自体が後手だった」という。別の地区では土石流で町長の家族を含む8人が死んだ。町の犠牲者は全部で25人になった。