若山富三郎 山城新伍 鶴田浩二ヤクザ役うまいの付き合いあったから!?
島田紳助と暴力団の問題は、紳助が沖縄に「籠城」していて書きようがないためか、新しい話が出てこずに各誌困っているようだ。ポストは溝口敦に「血の相剋『実録』戦後暴力団抗争史」を書かせているが、読者は歴史には妙味がないと思うのだが。現代も17ページ大特集と銘打って、紳助と極心連合会幹部が同席した不動産取引の話しをやっているが、イマイチ迫力に欠ける。
いっそ古い話なら「週刊新潮」の「『紳助』を屈服させた伝説の『異端ヤクザ』が語る若山富三郎 山城新伍 鶴田浩二 藤山寛美」がおもしろい。唐田知明(75)元東声会・京都支部長がその人である。この御仁、かつて京都・太秦の「東映京都撮影所」で俳優の用心棒を務めていた。常にチャカ(拳銃)を持ち歩き、それは彼が「冨兄ィ」と呼んでいた若山富三郎などみなが知っていたそうだ。主な仕事はロケのサポート。ロケをやる場所がどこの組のシマかを調べて、その組の親分のところへ日本酒をぶら下げて挨拶に行ったり、事情を知らないチンピラたちがロケ現場で絡んでくると、追い返す、場合によってはチャカやヤッパ(匕首)で脅すことだった。ある時、賭場のいざこざで拳銃を発砲して逮捕され、拳銃の入手先を洗う過程で山城新伍や里見浩太朗の名前が浮上し、逮捕されるという事件も起こしている。
おおらかな時代といえばそれまでだが、私が若い頃見ていた任侠映画やヤクザ映画で、鶴田や若山、山城らが迫真の演技ができたのは、すぐそばにそうした人間がいたからであろう。松方弘樹、小林旭、千葉真一もヤクザとの密な関係が取り沙汰されているが、「仁義なき戦い」の彼らが素晴らしかったのも、そうした積み重ねがあったからだろうか。