「今度のプルトニウムも東電は知っていて今頃出してきたんだ。次は何が出るんだか。我々をバカにしてんだべ。バーアンと爆発したとき、県や市のお偉いさんは我々を置いて逃げたんだって。知らなかったのは我々だけだ」
「週刊文春」のモノクログラビア「飯舘村の叫び」の中に出てくる佐藤義明さん(60)の言葉である。「見捨てられた村」で今も暮らす人たちをインタビューし写真とともに掲載している。
震災・原発記事「収束」…もっとアジテーターになれ!
84歳になる佐藤強さん(84)は、今年は米作りはできなかったが、この時期は山にマツタケをとりに行くのが楽しみだという。「飯舘のマツタケは最高だ。俺は自分で作ったものを食べているんだ。放射能なんか関係ねぇんだ」
愛する家畜たちを守りながら生活している夫婦もいる。こうした村を捨てず共に生きる覚悟をもった人びとの声は、永田村で安穏と暮らしている政治屋や霞ヶ関村の税金泥棒たちに届かない。
そのうえ、除染作業も進んでいないのに突然、緊急時避難準備に指定されていた区域を解除するから、住民に戻れと一方的に言い渡す無責任な政府のやり方には腹が立ってしかたない。
こういうときこそ彼らの怒りを代弁し、政府や役人の愚かさを糾弾して大声を上げるのがメディアの役割であるはずなのに、大新聞・テレビなどは東日本大震災も原発事故も収束に近づいたかのような報道をして恥じることがない。
経済の格差是正や雇用対策などを求めてアメリカ・ニューヨークのウォール街で始まったデモは拡大しているようだ。このデモの中心には若者たちが多いという。なぜ日本では、自分たちの生活が「破壊」されようとしているのに、怒りをぶつけ行動に移す若者が出てこないのか。ツイッターでつぶやくだけでは世の中は変わらない。怒りを忘れた日本の若者、もちろん年寄りたちを奮い立たせ、真の国民のための政治を確立するためにメディアは、いい意味でのアジテーターになるべきだと思うのだが。