スタジオに40通の手紙が並んだ。福島のお母さんたちが、子どもの心の叫びを政府に知ってもらいたいと手紙に書かせたものだ。
「きれいな空気が吸いたい。なんで原発をこんなにたくさん作ったのですか。死にたくないです(早く)」
「そとで遊びたい。ほうしゃのうはいつなくなるの。びょうきになりたくない。もっと福島にいたいけどもういられない」
「外で遊べたり、プールでのびのびと泳げるのはいつですか?」
「放射能がなくなりますように。犬をかえますように」
「早く除染をして下さい。責任をとってください」
いま京都に移り住んでいる小学5年の小林茉莉子ちゃん(11)が手紙を読んだ。「官僚のみなさんへ 福島の子どもたちは、原発の事故以来ずーっと外遊びをしていません。早く除染をして下さい。原発事故で避難をする人たちは、家や友だちを失いました。責任をとってください」
手紙に描かれた遊んでいる子どもの絵には、大きく赤いバツ印がついていた。「外で遊べないということを、官僚の人たちに伝えたかった」
事故後、福島県内の公立小中学校から県外に転校したのは8987人。茉莉子ちゃんも8月(2011年)に、 仕事のある父親だけが福島に残って母親と京都に移った。転校まで1度も外で遊んだことはないという。
事故で子どもたちの生活は一変した。外出時は必ずマスク、帽子、長袖、長ズボン。校庭が除染されていないので遊べず、教室の窓も閉め切ったまま。「プルトニウム、ストロンチウム」も覚えた。政府が「ただちに健康被害を及ぼすわけではない」というと「ただちに」に疑問を持った。
8月17日には、福島の子ども3人と衆院議員会館で官僚に向かって手紙を読んだ。このとき、中学2年の橋本伽耶さん(13)は「大人が勝手に作った原発で、なぜ福島の子どもたちが被ばくしなくてはならないのか。安全な場所に避難できるよう真剣に考えてください。その間に、学校も田畑も森も山も川も福島県全域を徹底的にきれいにするようにしてください」と迫った。
官僚の答えに、茉莉子ちゃんは「最大限ってどういうことですか」と切り込んだ。しかし、役人たちはマイクを譲り合った。「やる気がなさそうだった」
京都にはもう1人、小3の佐藤龍起くん(9)がいた。母と妹とおばとで移ってきた。サッカー少年だ。京都だとマスクをしないでサッカーができる。虫をとったり草に触れる。福島では「がんになる不安」があった。