「尾崎ハウス」取り壊し―自宅開放の家主「一生は付き合えない」

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   若者の孤独と挫折を歌い、人気絶頂のなかで1992年急逝した歌手の尾崎豊の終焉の地につくられた「尾崎ハウス」(東京・足立区)が、きのう3日(2011年10月)取り壊しになった。築65年というだけでなく、ある意味が込められていた。

「女房が見つけたんだよ。素っ裸で空手の型みたいのやってた」

   尾崎が亡くなったのは1992年4月25日。足立区の小峰忠雄さん(72)の敷地内だった。小峰さんは「女房が見つけたんだよ。素っ裸になって空手の型みたいなのをやっていたらしい。(尾崎豊だと)知らない、知らない」という。

   尾崎はそこで倒れ還らなかった。追悼式には4万人が集まった。石原裕次郎が3万5000人、 美空ひばりが4万2000人 だから、その人気がいかに高かったかがわかる。そしてファンは倒れた現場、小峰さん宅を訪れるようになった。

   小峰さんは「(女の子たちが)毎日来て泣いてるからさ、家にあげていろんな話をきいてやった」という。自宅1階の6畳間を開放した。ファンはこれを「尾崎ハウス」と呼び、室内に写真やイラストを張り巡らし、交流の場としてきた。

「毎日歌ってたよ、ファンが。引き下がれないよ、みんな来ちゃってるしね」

   小峰さんは尾崎の歌を覚えてファンと一緒に歌ったそうだ。以来19年が経った。尾崎と同い年のファンはいま45歳だ。「尾崎ハウス」はやがて死をしのぶ場所から、新たな交流・出会いの場、「聖地」に変化していく。数万人が訪れ、書き込みのノートは70冊にもなった。いま20代のファンもいる。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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