田中角栄と小沢の違いは「情」あるかないか
「赤ん坊が高熱を出して医者に見せようにも、トンネルがあれば三十分とかからないで行けるのに、トンネルがなくてガッポガッポと腰までつかる三メートルもの雪の中を一日かかってさ。母ちゃんの背中で赤ちゃんが死んでいたんだ。実際にあった話だ。それを聞いた角さんは声をあげて泣いていた」
これは「月刊日本」に掲載されている松田賢弥の「小沢一郎は角栄になれなかった!!」の中で、田中角栄の元後援会幹部が語っている言葉である。
昭和38年(1963年)、新潟を襲った「三八豪雪」では山間部の雪は3メートルを超え、死者は約210人におよんだ。角栄は「雪は災害だ」と言い切って渋る中央官僚に援助を認めさせた。
詰まるところ角栄と小沢の違いは、「情」があるかないかであろう。角栄の地元が岩手だったら、東日本大震災直後に飛んでいって、何よりも東北の復興が最優先だと、ブルドーザーと称された腕力と政治力でがれきの山を片付け始めたに違いない。
それに比して小沢は何もやってくれないと地元から怨嗟の声が出ている。小沢の力の源泉は永田町での強引な政治力にあった。だが、その豪腕もいよいよ風前の灯火になってきたようだ。「週刊文春」でノンフィクション・ライター森功がレポートしている。