ポール・ポッツといえば「奇跡の歌声」。見かけからは想像できない美声で、ケータイのセールスマンから一躍スターになった人だ。しかし、実は日本にもいた。「赤羽のポール・ポッツ」といわれる人を上田まりえアナが訪ねた。
スカウト番組でデビュー。ケータイ配信で上位
本当に赤羽の駅前で歌っていた。はげ上がった中年男がTシャツにギターを抱え、声をしぼりだすと、これが全然イメージと違う。だからこそポール・ポッツ。聞いている人も「ギャップがありますね、顔と」。「天使の歌声」という人もいる。
斎藤竜明さんは42歳のフリーターだ。ピザの配達などのアルバイトをしながら歌っていた。それが「赤羽のポール・ポッツ」として、8月2日(2011年)放送のスカウトバラエティー番組「スター★ドラフト会議」(日本テレビ系火曜よる10時)に出演して、大手レコード会社からデビューを果たしたのだった。
上田が住まいを訪ねると、元飲食店だったという築46年のあばら屋。万年床、洗濯物は段ボールに放り込まれ、クーラーボックスがバスタブだ。清く貧しい生活だが、ひとたびギターを手にすると「天使の歌声」、世界が変わる。
自作の「フラノの歌」「荒野の狼」で配信シングルでメジャーデビュー、レコチョク、着うたダウンロードランキングで総合34位(8月2日)になった。また、iTunesチャートのブルース部門では1、2位を独占した。
路上で歌い続けて10年
22歳のとき、北海道伊達市から上京した。漫画家になるつもりだったが、いっこうに売れず、26歳のときにギターを背負ってオートバイで日本一周をした。が、路銀がなくなって、道端で歌を歌ったのが最初だった。以来、路上で歌を続けてきた。
「道のりは長かったんじゃないですか」と上田が聞く。
斎藤「たかが10年ちょっとです。人生60年までありますから」
先日、里帰りをした。母親の佐代子さん(63)と祖母タカヨさん(84)がメジャーデビューを喜んでくれた。しかし、「歌をナマで聞いたことはない」という。恩返しに凱旋ライブが行われた。子どもの時から知っている人たちの前で「フラノの歌」などを歌った。
本人は「がんばっても結果がみえない不安から、みんな夢から離れていく。ボクは恵まれたんじゃないか」と、あくまで謙虚だ。
スタジオで「フラノの歌」を歌った。これが「赤羽のポール・ポッツ」という透明な歌声。終わって司会の加藤浩次が「独特の発声法じゃないですか」
斎藤「そうです。独学で」
手持ちの曲は100曲くらいもあるという。
キャスターのテリー伊藤「フォークソングに近いですね」
斎藤「友だちは旅フォークと呼んでます」
加藤「人が集まるようになったでしょう」
斎藤「アンプとか使わないので、できるだけ集まらないようにしてます。(集まると)迷惑がかかっちゃうので」
上田をモデルにしてマンガも描いた。4コマの絵はなかなか達者だったが、今風で、あまり個性的ではない。やはり歌か。しかし、ひとつが生きれば、次も生きるかもしれない。
テリーが「髪は薄いけど、顔はかわいいよね」
42歳はしきりに照れていた。