<朱花の月> 染色家の加夜子(大島葉子)は、地元PR誌の編集者で恋人の哲也(明川哲也=ドリアン助川)と長年一緒に暮らしてきた。加夜子は哲也の知らないところで、木工作家で同級生の拓未(こみずとうた)とも愛し合っている。 幸せで穏やかな時間を過ごしてきた彼らだったが、加夜子の妊娠をきっかけに3人の関係は次第に崩れていくことに…。監督は河瀬直美。第64回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式招待作品である。
万葉集や大和三山神話に謎
『萌(もえ)の朱雀(すざく)』『殯(もがり)の森』に続き、今回は『朱花(はねづ)の月』。タイトルになかなか読めない漢字を使うことでも知られるある監督である。もちろん、タイトル以上に独特の河瀬ワールドが今回も健在。ドキュメンタリータッチの撮影法で、特別に作りこんだ映像や派手なセリフは出てこない。なのに、じわじわと観客を異世界に引き込んでいく。ひと言で言うなら、とても不思議で感覚的な作品だ。
朱花色とは白色を帯びた淡い紅色のこと。古代から高位の者たちの衣服に使われてきたが、色あせしやすい性質から、うつろいやすさの枕詞とされている。この映画では朱花色を女性の気持ちになぞらえている。
話は奈良・飛鳥地方の集落で暮らす人々のつつましい生活風景から始まる。ツバメが飛び交う田園、空を泳ぐ鯉のぼり、山にぽっかりと浮かぶ月、主人公の加夜子がスカーフを一つひとつ手作業で染色する姿。そして2人の男が彼女に作る野菜たっぷりの料理がなんとも美味しそうなこと! いまなお続く古きよき日本人の暮らしぶりは、観ていてほのぼのとした気持ちになる。
しかし、加夜子の妊娠が明らかになるあたりから、物語の下敷きとなっている万葉集や河瀬の地元・奈良の大和三山の神話の存在が、まるであぶり絵のように浮き彫りとなってくる。現代に生きる3人の男女の恋は、自分たちの祖父母も、さらにいにしえの人々もたどった『ある宿命』に翻弄されていく。このあたりから、物語が時空を越えた壮大なスケールで描かれていることに次第に気づかされ、なんだかスクリーンに映るものすべてがうすら恐ろしく見えてくる。3人はいったいどうなってしまうのか。ラストシーンはまったく読めない。
好き嫌いはっきり分かれる美意識と恋愛観
河瀬がいつも描こうとしているのは、名もなき人々の生き様。そこには圧倒的なまでに大きく普遍的なテーマが潜んでいる。それが彼女の作品が世界で数々の賞を受賞してきたゆえんなのかもしれない。その点では、同じく世界で評価が高い北野武や松本人志と通ずるものがある。
ただ、いずれの監督の作品も己の世界観が強すぎて、日本人の間では好き嫌いがいつもはっきり分かれてしまう。今回の作品もしっくりくるかは好みの分かれるところだろうが、日本人にしか作れない作品であることは間違いない。日本人の普遍的な美意識や恋愛感に興味のある人にオススメしたい。
バード
オススメ度:☆☆☆