市域の大部分が福島第1原発から30キロ圏内にある福島県南相馬市に、出産を間近に控えた妊婦が次々と避難先から戻っているという。理由は様々だが、共通しているのは「ふる里で安心して子どもを産みたい」。そんな妊婦を献身的に支える産婦人科医がいることもUターンに拍車をかけている。
しかし、故郷の戻っても別の不安が募る。クローズアップ現代は、不安を抱える妊婦とそれを支える医師が二人三脚で放射能と戦う姿を美談風にまとめたが、本当に胎児への影響はないのか、最後まで疑問が残った。
地元に残った産婦人科医の孤軍奮闘
福島第1原発の事故が拡大していた3月12日(2011年)、南相馬市の住民の8割以上が避難した。その後、4月に入って国は20~30キロ圏内に出ていた屋内退避などの避難指示を解除し、通常の生活ができる「緊急時避難準備区域」に切り替えた。妊婦や子ども、入院患者は立ち入らない方が望ましいとしたが、立ち入りを禁止したわけではなかった。
これを契機に、避難先で体調を崩した妊婦、流産しかけた妊婦、夫の仕事の都合で避難を続けられない妊婦が戻ってきた。50人以上もいた。そうした妊婦を支えたのが、南相馬市内5か所の産婦人科医のうち、地元に残っていた高橋享平医師(72)だった。戻ってきた妊婦の自宅を訪れては放射線計測器で線量を検査し、病院のレントゲン室で使うカーテンの使用をすすめるなど、放射線から自分と胎児を守るアドバイスをしている。こうして8月に取り上げた赤子は8人、原発事故以来13人になる。
妊婦たちが浴びた放射線量を6月に検査したところ、年換算で最高値が6・96ミリシーベルト。「絶対安全」とはいえないものの、「ほぼ安全」といえる値だという。そんな高橋医師に癌が見つかった。痛みや倦怠感と闘いながら、「いつまで妊婦を放射線から守り、出産の手助けができるのか不安だ」と話す。