大震災の年の隅田川花火大会~花火師4代目が打ち上げた「祈りと鎮魂」

糖の吸収を抑える、腸の環境を整える富士フイルムのサプリ!

   今年(2011年)の隅田川花火大会は、例年より1か月遅れの8月27日に行われた。東日本大震災による自粛でいったんは中止と決まったものの、「鎮魂の花火」と銘打って開催にこぎつけた。花火にかけたいくつかの思いをカメラが追った。

花束のように広がった1発「被災地に贈る 追悼手向けの花」

   細谷圭二さんは曾祖父から続く花火師4代目だ。この道に入って27年間、いいもの、変わったもの、喜ばれるものを追い続けてきたが、今年は違った。考えた末にたどり着いたのが、隅田川花火の原点「祈り」だった。

   隅田川の花火は、徳川8代将軍・吉宗が享保の飢饉と疫病の犠牲者を弔うために行ったのが始まりとされる。関東大震災でも戦災でも復興の願いを込めて実施してきた。細谷さんの祖父は終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に掛け合って昭和23年に再開にこぎつけた人だった。

   序盤に細谷さんが打ち上げたのは「被災地に贈る 追悼手向けの花」。まさに花束のような抑えたつくり。「亡くなった人たちの思い出をしのびながら、魂に祈りを」という。中盤では「江戸の粋 夜空に彩る希望花」。色とりどりに未来への希望を表現した。

   波木井照夫さんは墨田区向島の料亭街の組合長だ。大会の実行委員として、一貫して「開くべきだ」と主張してきた。「隅田川の花火は、悲しい歴史の中から成仏を願って打ち上げる。一つひとつが生きているような」という。

   墨田区京島の金属加工業、佐藤清美さんと弘子さん夫妻は花火のためにわざわざ屋上を作ったほどの花火好きだ。が、今年は苦境にある。大震災のあと仕事が激減して、売り上げが5分の1に落ちた。帳簿を見せて「4月などは7万9000円ですよ。50万円はあったのに」という。このまま工場を続けていいものかどうかの迷いの中での花火だった。当日は夫婦そろって浴衣がけで川岸に出た。終わって清美さんはいう。

「ドーンという音を聞くと、こうしちゃいられない、もうひと頑張りしなくちゃ、という気になった」

   傍らで弘子さんが 明るく笑っていた。

   この夜打ち上げたのは2万発。5か月をかけて想を練った結果に、細谷さんは満足していた。

「花火は人の一生です。オギャーと生まれた時が打ち上げ。ドーンと花開いて、それが最盛期、やがて消えてゆく」

   大会が終わって、打ち上げ台に並んだ花火師たちに川岸の家々から一斉に「ありがとう」という声がかかる。窓から手を振る。これが隅田川花火の心温まる幕切れだ。花火は夜空に消えたが、こめられた希望はやがて花開く…。

姉妹サイト