東北被災地の復旧が進む中で、津波の脅威、被災のものすごさを象徴する建物や巨大な漁船をそのまま保存するか、撤去するか、被災地の人たちの心が揺れているという。番組のリポーター・原元美紀が被災地を訪れ、戸惑う被災者たちの心情を追った。
「記録、記憶として後世に残すべきだ」
被災地には、何度も報道され、津波被害の象徴として目に焼き付いている建物や巨大漁船がいくつかある。その一つが宮城県南三陸町の防災対策庁舎。鉄骨だけの姿を晒しているが、女性職員が「海岸付近には絶対に近づかないでください」と命をかけて繰り返し住民に呼びかけた場所だ。今も多くの人が訪れ祈りを捧げているという。
宮城大学事業構想学部の三橋勇教授は「後世にビジュアル的に残せたらというのがわれわれの思い。記録というのは、文献よりも目で見て、体験が語りつなげる。それが残されたところで語られるというのが、一番印象が強い」という。
宮城県・気仙沼漁港。津波で17隻の漁船が陸に押し上げられたが、うち14隻が海の戻され、残りはその場で解体された。ただ、1隻だけが街の真ん中で巨大な船体を晒している。「第18共徳丸」。姿勢を真っ直ぐにし、まるで海に浮かんでいるように見える船体の下には、車がつぶされ下敷きになっている。
気仙沼市は保存する方向で、船の持ち主に解体を1~2年延期してもらい、その間に具体的な保存計画を検討するという。菅原茂市長は「住民の方は複雑な思いがあると思いますが、私は今回の津波を体験した一人として、自然に対する畏怖、畏敬の念を持ち続ける必要があうと認識しています」と話す。