岩手・陸前高田市の名勝「高田松原」の津波で倒された松の木を京都「五山の送り火」で焚くという話が、「放射能」を心配する市民の声で中止。これに批判が集中して再度実行となったら、ホントに放射線が検出されて、またまた中止。そこへ今度は千葉・成田山新勝寺が名乗りをあげた。
陸前高田市にも「地元で燃やせ」
もとは京都の送り火実行委の「被災者への供養に」という善意から始まったものが、風評ともいえる放射能騒ぎで二転三転。科学的には燃やしても問題ないレベルなのに、現実にセシウムの数値が出るとだれも判断できない。
最初に予定していた約300本の薪には、被災者遺族らが供養の書き込みなどしていたのだが、中止となったため地元の迎え火で焚かれた。これらからは放射線は検出されなかったが、次に京都の要請で送った500本からはセシウムが検出されてしまった。
京都の送り火はきょう16日(2011年8月)だが、薪はいま京都市が保管したままだという。バカな話だ。陸前高田市には電話で「地元で燃やせばいいんだ」といった無神経な京都市民もいたという。そこで生活している人への思いやりのかけらもない。
新勝寺「放射能検出されても祭壇に祭る」
今度の成田山・新勝寺の申し入れは、放射性物質が検出されなかったら9月25日の「お焚き上げ」で供養する。検出されたら、燃やさずに祭壇に祭るという。ただし、検査には時間がかかるので、場合によっては「お焚き上げ」に間に合わないかもしれないと、これまた変な話だ。
ただ、驚いたことに、新勝寺に寄せられる声の8、9割は燃やす事に反対なのだそうだ。ほとんどが地元の声だろうが、岩手の汚染度と千葉の汚染度とどれだけ違うと思っているのだろうか。
司会の加藤浩次は「現地ではそこで生活してるんですからね」と至極まともだ。しかし、香山リカ(精神科医)は「せっかくの善意なのに、みんなが傷ついている」、宮崎哲弥(評論家)までが「検出されても祭壇に飾ると、このあたりでしょうか」と冴えないコメントだ。
キャスターのテリー伊藤「新勝寺が手をあげたことに感謝したい。陸前高田では燃やしてるんですから」
加藤は「陸前高田の人たちの気持ちを第一に考えてほしいと思います」
誰か一人ぐらい、「そんなもの燃やしたって大丈夫だよ」といえないのか。大文字で焼くくらいの放射能なら「われわれは核実験時代に十分に浴びてるんだ」といえないのか。
高田松原で、1本だけが残った松の木はいま、地元の希望の象徴になっている。訪れる人も多い。京都から来た人には言ってやろう。「放射能がいっぱいですよ」と。