明日8月16日(2011年)に京都の「五山送り火」が行われる。今年は二転三転のドタバタ劇が続いた。「せっかくみんなの足並みがそろったのに」と司会のみのもんたは肩を落とした。薪として使われる予定だった岩手県陸前高田市の松で作った薪から放射性セシウムが検出され、使用が中止になったからだ。
京都市長「断腸の思いで決定」
井上貴博アナウンサー「当初の計画では、高田松原の薪が使われる予定でした。でも、京都市民の間から放射能汚染を不安視する声が上がって計画中止。これに全国から抗議が相次いで、再び使用を11日に決定。京都市役所にはすでに約500本の薪が届けられていました」
京都市の門川大作市長は「断腸の思いで決定しましました。陸前高田市をはじめ、被災地の皆様に悲しい思いをさせてしまい、心を痛めている。尽力頂いた皆様に心からお詫びします」と頭を下げた。
薪から検出されたセシウムの数値が危険なのかどうか、京都の立命館大学・安斎育郎教授(放射線防護学)はこう話している。
「数値的には危険なものではない。でも、安全なものをという市民の気持ちも分かる。被災地の人たちの心情を考えると、言葉では言い表しにくい」
被災地は皮削る人手も余裕もない
コメンテーターの柿崎明二(共同通信編集委員)「陸前高田の人たちのことを考えると、何か釈然としないものを感じる。五山の送り火は京都市民のものだけではないはず」
八塩圭子(学習院大学特別客員教授)は「事前に放射能チェックをしておくとか、薪の皮を削っておくとかをしていれば、こんな騒ぎにはならなかったでしょう。でも、地元ではそれだけの人手も気持ちも回らなかったというのもよく分かります」
ご先祖様の送り火ということなら、ご先祖様や震災犠牲者の霊は陸前高田に帰ってきているのだから、地元で焚くということでよかったようにも思うし、京都でということなら、京都側も端からダメということではなく、「ご苦労はんでしたな」と一言あってから検査をするという心配りがあってもよかったようにも思うのだが…。