3日間に600ミリと、3か月分の雨に見舞われた新潟・三条市を阿部祐二がルポした。堤防がそっくりえぐられ、畑が削られている。家の中も外も粘土質の泥でびっしり。被害は凄まじいのだが、それを伝える阿部祐二のルポがぬるいというか、要領を得ない。阿部が三条市に入ったのはきのう(2011年7月31日)で、もう雨はあがって日が射している。いわば、傷跡の確認になったのだが、それならそれで伝えようはあるはず。
「もう、水は引いていますが…」
安倍は「堤防がなくなってます」「崩れ落ちています」「ガードレールが川のなかに」などと声をからして伝えるが、映像を見ればそんなことはわかる。橋の上にも立って、「水は引いていますが、勢いと色は同じです」と話す。橋の上には一面に砂が積もっていて、そこまで水が上がっていたことは歴然。ちっとも同じではない。
新潟と会津は7年前にも豪雨に見舞われ、100年ぶりといわれた。このときも阿部は叫んでいた。当時の映像で「百数十メートルにわたって堤防がなくなってます」
気象予報士の武田恭明は今回の豪雨は「3点セット」だという。前線が日本列島を横切る形で長時間とどまり、そこに西から湿った空気、北から寒気が流れ込み、新潟・会津の上空でぶつかっていた。これは7年前の気象とよく似ていて、その年はこの時期までに19も台風が発生したが、今年もすでに9号になっている。
「100年に1回」の前回豪雨を今回はさらに水かさで1メー トル上回ったのだが、その割に全壊した家屋は17棟(新潟)と少なかった。堤防の改修が進んだためで、決壊したのは未改修の部分ばかりだったという。
コメンテーターもトンチンカン
勝谷誠彦(コラムニスト)が「太平洋高気圧」がどうのこうのいっていたが、7年前は梅雨明け前。今回は梅雨は明けていた。当然高気圧の強さは違うだろう。キャスターのテリー伊藤は「災害マニュアルが浸透していて、避難するにも混乱なし。死者も少なかった」と言い、勝谷も「津波から学んでいる」などといっていたが、どうにもぴりっとしない。
要は、場所選びを間違った。簡単に行ける新潟ではなく、やっぱり只見へ行くべきだったのだ。新潟では楽過ぎたのだろう、阿部は釣船から転落して36キロも漂流して助かった人の話を取材していた。