大人の数学ブームだという。書店ではスイスの数学者・オイラーの難解な理論を解いた本や、フランスの数学者・ガロアの群と代数方程式の関係を解いたガロア理論の本が中高年に売れている。社会人向けの数学教室はキャンセル待ちの状態だ。難解な数学の世界に中高年を駆り立てているのは何なのか。
50歳サラリーマン「70日目に超難解理論解明」
「数学は信頼性が高い。階段を上っていけば上るだけ正解と呼ばれるものに出合う」
鉄鋼メーカーに勤める50歳の男性はもともと理科系だが、数学に挫折して以来、数十年は最も触れたくないものの一つだった。その男性が12万部以上売り上げているという「オイラーの贈物―人類の至宝eiπ=-1を学ぶ」(吉田武著)に出合い、どっぷりハマってしまった。πは3.1415…と無限に続く円周率、eも2.7182…と続く無限の数、iは2回掛けるとマイナスになる虚数と言われる数。「eのiπ乗=-1」の単純な公式になる。
男性はまず中学レベルからスタート。2次関数、微分・積分、指数関数、対数関数、三角関数…とステップを一段ずつ踏んでいくうちに、まったく別の世界に引き込まれていったという。そして最後の難関「テイラー展開」と呼ばれる高等数学が立ちふさがるが、これもクリア。本を手にして70日目にようやく頂上にたどり着いた。
「なぜこんな大変な作業にあえてチャレンジするんでしょう」
学生時代に数学が嫌いになり、以来、数学から遠ざかっていたというキャスターの国谷裕子がこんな疑問を口にした。サイエンス作家の竹内薫はこんなふうに答えた。
「苦しい連続の山登りに似ている。とくに最後の難所を経て頂上にいたった時の快感、見晴らしのいい視界が開ける快感を味わってみたいんじゃないですか。
学校の数学は試験とか受験とかがあった。もう1度じっくりやり直したいというのもあるんじゃないですかね」
まだ納得できない国谷が、「数学的思考ができるようになって何か変わってきますかね」と聞く。
「数学は言語なんですよ。自然を分析する言語、自然を変える言語。数学という言語を勉強すると全く違うカルチャーが見えてきますね」(竹内薫=前出)
数学的思考で見えてくるまったく違う世界
混沌とした社会のさまざまな問題にヒントを与えてくれそうな「いかにして問題をとくか」(G・ボリア著、柿内賢信訳)も売れている。企業の立て直しを手掛ける32歳のコンサルタントの男性が、この本の効果を実感したのが母校、東大の漕艇部立て直しを依頼された時という。100年以上の伝統を誇り、五輪選手を輩出したこともある漕艇部だが、ここ数年は新入部員が激減し成績不振に喘いでいた。新入部員を増やし、立ち直る手立てを考えてほしいと依頼され、まず考えたのが「なぜボート部に魅力を感じないのか」という新入生への聞き取り調査だった。
しかし、見ず知らずの新入生に時間を割いてもらい、質問をぶつけるのは難しい。悩んだ末にひらめいたのが「いかにして~」に書かれていた「似た問題を置き換えて考える」でだった。新入部員や先輩部員に入部した時の動機や魅力を語ってもらい、新人勧誘のパンフレットを作製した。これが受けて入部が急増したという。
国谷「数学好きの大人たちが増えて、どんなことが期待できますか」
竹内「科学技術立国の日本は数学ができる人が増えないと困ります。ブームに参加する大人が増えればその子どもたちも数学が好きになり、科学技術が盛んになると思う」
話はそれるが、鳩山前首相は東大工学部応用物理・計数工学科卒、菅首相も東京工業大理学部応用物理学科卒で共に数学には強いはずで、政権奪取当初は難問を解き新しい日本へ向けて動き出すものと期待した。
ところが、あの鳴り物入りのマニフェストは今や雲散霧消寸前でペテン師との声も聞こえてくる。政治の世界も数字そのもののはずなのだが…。
*NHKクローズアップ現代(2011年7月27日放送「大人がはまる『数学ブーム』の謎」)
モンブラン