元ヤンキースの伊良部秀輝が27日(2011年7月)午後、米国ロサンゼルスの自宅で死んでいるのが見つかった。連絡がとれない友人が訪ねてわかったという。現地警察は自殺と見て調べている。まだ42歳だった。
日本最速158キロで清原と「平成の対決」
伊良部は87年にロッテに入団、97年にニューヨーク・ヤンキースに移り、他球団を経て阪神で引退した。その後、ロスでうどん店を開いたが経営に行き詰まり閉店した。現地でジュニアのチームを指導していたという。
「まあ、伊良部という人はロッテ時代から話題の多い人でね。腕白坊主とか悪ガキとかいろんなことをいわれた」と、司会の小倉智昭の蘊蓄が始まった。
兵庫県生まれで、香川の尽誠学園からドラフト1位でロッテに入って、翌年から一軍に9年間在籍し、最後の3年間は15勝、11勝、12勝。
小倉「158キロは当時日本では最速のピッチャーだった。清原との対戦は平成の名勝負なんていわれて…」
まだFA権がないのに、ヤンキースに行きたいとパドレスとの三角トレードで強引に移籍した。そのあとでポスティングシステムが生まれている。ヤンキースでは2年目13勝、3年目11勝と二ケタの勝ち星をあげ、他球団を経て最後は阪神だった。
一人暮らしで「日本に帰りたい…」
小倉「野球では凄いスピードボールを投げるんですが、記者の名刺を破ったりペンをへし折ったり、ブーイングにグラウンドでつば吐いたり、引退後も飲酒運転やったり、暴力事件などいろんなことがあった。ロスで1人暮らしだったようですが、日本に帰りたいといっていたという話です」
まあ、小倉ならずとも、だれもが伊良部には一種の感慨がある。考えれば、20歳そこそこの若者がわがままいっぱいに生きたさまが浮かぶ。しかし、広岡監督とのあつれきのタネだった体重の問題とか、自己管理ができない人でもあった。
ヤンキースの首脳が「150キロのフォークだよ」といっていたのが思い出される。1発打たれてカッとなって崩れるパターンは最後まで直らなかった。反面教師にしたらいいのかもしれない。