「ぴあ」の最終号を買った。雑誌が休刊するときは、どんな雑誌でも悲しいものだが、一時代を築いたとなればなおさらである。付録に「創刊号 復刻版」がついている。昭和47年(1972年)7月10日発行とある。巻頭の「ロードショウ案内」には「ゴッドファーザー」「個人教授」「ひきしお」「華麗なる賭け」「南太平洋」などが並ぶ。行きつけだった新宿昭和館では、松方弘樹の「不良街」、若山富三郎と藤純子の「シルクハットの大親分」、鶴田浩二の「博奕打ち殴り込み」三本立て。丸の内ピカデリーでは、マドンナ役に吉永小百合をむかえたシリーズ第9作目「男はつらいよ 柴又慕情」だ。演劇、音楽、ジャズ喫茶生演奏と続く。
編集後記には「『ぴあ』は情報だけを独立させ、映画・演劇・音楽の総合ガイド誌として位置することを目指します」と矢内廣が書いている。100YEN。渋谷よりも新宿が熱く、銀座は敷居が高く、六本木や霞町がおもしろかった時代だった。「ぴあ」の成功で次々にこうした情報誌が創刊されるが、ネットの普及で「情報はタダ」が当たり前になり、次々に姿を消していった。
「放射能警告カリスマ」突っ込まれた「アバウト」ぶり
さて、今週も原発関連の記事が多いなかで、「週刊新潮」の「『放射能ヒステリー』を煽る『武田邦彦中部大学教授』の正体」に注目。武田教授(68)は放射能の危険性を訴え、いまやメディアに引っ張りだこで、「子供を放射能から守り抜く方法」(主婦と生活社刊)などの著作が次々ベストセラーになる「カリスマ」である。
彼の主張は一貫している。放射線の許容量は年間1ミリシーベルト。がんになる確率は1ミリで1億人に5000人、10ミリで1億人に5万人、20ミリでは1億人に10万人増えると警告する。だが、新潮によると、1昨年の5月5日(2009年)の自分のブログにこう書いているという。
「放射線と人体の関係を研究している人の多くが『放射線を少し浴びた方が発癌性が低い』と考えている。でも、決して口に出さない。口に出すと袋だたきにあうからだが、民主主義だから専門家はおそれずに『本当の事』を言うべきだ」
また、09年1月16日の原子力委員会研究開発専門部会ではこうも言っている。
「私は日本国にとって原子力以外にはエネルギー源が将来無いと思っています。(中略)原子力しかないことと、原子力が一番安全だということは当たり前じゃないかと」
アレレである。その上、武田教授は放射線などの専門家ではなく、専門は資源材料工学で、原子力委員会の委員になったのも「原子炉の耐震性について知識を生かしてもらうため」で、「放射線取扱主任者」の資格を持つが、これは「放射線管理者のための資格」だと放射線影響協会研究参与の松原純子氏がいっている。
当然ながら、インタビューに答えて武田教授は大反論するかと思えば、意外に弱いのである。例えばこうである。放射線の危険性については、「20ミリシーベルトが危険だというデータはいっぱいある。ECRRだって、福島で29万~44万人のがん患者が出ると言っている」というのだが、新潮に「ちなみに、ECRRとは欧州でグリンピースと一緒に活動し、ICRPと対立している市民組織である」と一蹴されている。
市民組織だからいけないとはいわないが、やや根拠が薄い気がしないでもない。私は、年間20ミリシーベルトが安全なレベルだとは思わない。だが、危険性を強調するメディアに出るときは無防備でいいが、そうでないときは、論理的に根拠を示さないと安全派にこうして突っ込まれることになる。