俳優の原田芳雄(享年71)の通夜が7月21日(2011年)に東京・青山葬儀場で執りおこなわれ、2000人を超える弔問客が訪れた。葬儀は「映画葬」と名付けられ、祭壇にはスクリーンに見立てた遺影が飾られた。どこか危険な臭いのするアウトロー、ぶっきらぼうで頑固な男というイメージが強い原田だが、素顔は友人や仲間の多い「面倒見のいいオヤジ」で、多くの映画人、ミュージッシャンが駆けつけた。
自宅は「居酒屋原田」
原田の葬式らしくカラリとしたものだった。原田の息子・原田喧太(41)も涙を見せず、「まだ映画の中に本人は生き続けているので、感無量というか、カッコいいなと思いました」と語り、共演が多かった女優の原田美枝子(52)は「ギリギリまで現役で仕事をやり続けて、しかも最後は主演で終えたというのは、本当に見事だと思うんですね」と、悲しむというより、原田の死に様に感服した風情だ。
弔辞は原田とコンビで5本の映画を撮った阪本順治監督(52)で、「いっぱい遊んでくれてありがとう」と言葉をかけた。実際、原田は自宅に人を呼ぶのが好きだった。自宅は通称「居酒屋原田」と呼ばれ、映画仲間や音楽仲間、さらには何を生業としているかハッキリしない怪しい仲間を集めて飲み会をやった。
後輩の面倒見がよく、タレントの松尾貴史はこんな経験をしたという。あるとき飲み屋で飲んでいたら、後ろの席に原田がいて、帰り際に向こうから声をかけてきてくれた。
「食えないときはウチに来いよ」
コースターに書いた電話番号を手渡され、実際、その日のメシ代もなかったときに電話をして訪ねたら、はらだがみずからてんぷらを揚げて食わせてくれたという。
「それ以来何度もお邪魔しましたが、いつも誰かがいるんです。自然と人が集まってくる」