大震災から4か月目の11日(2011年7月)、司会の小倉智昭が釜石にいた。箱崎地区の箱崎小学校跡には、全国から贈られた鯉のぼり300匹が泳いでいたが、小倉は「4か月前と変わらない。復興が進んでいない」と嘆く。
箱崎は230世帯625人の集落だったが、71人が亡くなり、20人が依然不明。元の住人の2割くらいしか戻っていない。がれきは一部で6メートルの山になっているが、撤去率は26%と県内でもっとも低い。
仮設住宅できても道路がない
「現地にいる方が、東京の政治空白がよく見える」と小倉はいう。
「地元の人は、東京の政治なんてこれまでは見えなかったのが、今は全部見えちゃう。復興が進まないからだ、といっていた」
小倉はきのうは釜石市の中心にいた。がれきは片付いているものの、商店で開いているのはコンビにが1軒だけ。一歩裏通りに入ると、がれきもそのままだ。
10メートルの堤防を波が乗り越えた両石地区、12メートルが破れた唐丹町本郷地区。ともに高台への移転を思い描いているが、土地が足らない。地元は「土を盛っても、5年、10年かかるでしょう。県が動かないと市も動けない。県は国が…」という。
箱崎に80棟できた仮設住宅には3日前ようやく水道が通ったが、まだ入居者はいない。釜石へ通ずる道路2本が切れたままだからだ。
「今はいいが、冬は波が5、6メートルになるから、あのままでは通れなくなる。冬が越せない」
旅館「宝来館」はようやく再開したが、女将の岩崎昭子さんは「市道なので、国道と違ってすぐはやってくれない」という。この辺りはいい海水浴場だったが、地盤沈下で砂浜が消えてしまった。
「ライフラインは国がやってくれないと」
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト