福島第1原発からわずか3キロのところにある県立双葉高校は野球で知られる。甲子園出場3回。だが、いまは町ぐるみで避難していて学校にも近寄れない。それでも甲子園を目指して県大会に臨む。そんな野球部員を落語家の立川談笑が追った。
甲子園出場3回の強豪
双葉高校は県内4か所の仮校舎で分散授業をしている。野球部員も福島、郡山、いわきに分かれている。平日は地元の練習に混ぜてもらって、部員全員の練習は週末だけだ。
副キャプテンの田仲元貴君(3年)はいわき市の旅館にいた。家は南相馬だが、震災以来、車で仙台、東京、千葉と各地を転々としながら避難生活をしてきた。バッグの中は着替えなどわずかだ。「最後まで双葉高校で甲子園を目指します」
原発事故直後、キャプテンは部員全員に「死ぬなよ」「また野球やろう」とメールを送った。実際に集まったのは4月29日(2011年)だった。40人いた部員も多くが避難先で転校していま15人。1、2年生は5人しかいない。
田中巨人監督は「どんなことでもがんばればできることを、みんなに見せてやろう」と呼びかけた。とにかく、個人のレベルを上げるしかない。しかし、時間がない。取材した時点で、県大会までに全員で練習できるのは6回しかなかった。3年生が話していた。
「オレたちが最後か」
「そうだよ」
「学校自体が生徒募集しないんじゃないか。校舎がないんで」
全員ベンチ入り
これが双葉高校の最後の夏になるのか。それでも練習試合を田中君のホームランで勝った。6月の戦績は13戦して10勝だった。そして6月23日、県大会の抽選会でキャプテンの磐田智久君(3年)は強豪校とは別のブロックになった。
司会の小倉智昭「福島予選では前の仲間と当たるかもしれないんだ。全員ベンチ入りだね」
立川「そうです。だれかが故障すると大変」
大きな寄せ書きがスタジオに持ち込まれた。中央に大きな葉っぱが2つ、双葉の校章だ。田仲君は「最善」と書いた。「伝統と誇りが消えないように」「OBや転校していった仲間にも見せたい」などなど。
小倉「学校が存亡のときに、『自分たちががんばれば新入部員が増える』なんて、泣けますね」
田中ウルヴェ京(スポーツトレーナー)「絶対負けられないと思ったとき、ちょっと息を吐いてほしい。適度の緊張がいい。頑張りすぎると結果が出ない」
竹田圭吾(ニューズウィーク日本版編集長)「同じ学校の他のクラブも、また、福島なら他の学校だって苦労していると思いますよ」
県大会も線量計が必要なのだろう。みんなまとめてぶっ飛ばしてやれ。