女はブリっこが大嫌いである。いまだにブリっこという言葉が存在するのが信じられないほど、女性たちは強くなり自立している。ブリっこの目的、それは男に媚びたいから。ファッションを変え、髪型を変え、メイクを変え、言葉づかいやしぐさまで変える。かわいく思われたい、大切にされたい。それはまるで赤ちゃんが自己防衛のために、無条件に可愛い存在であろうとするのと同じ。人間の本能の一部なのかもしれない。
たしかに、赤ちゃんを見たら、誰だって思わず頬が緩んでしまう。だけど、それが自己防衛の可愛さではなく、自己主張に変わった時、人は嫌悪感を抱く。ブリっこという処世術のしたたかさといやらしさは、同じ女性から見ると、時に吐き気すら感じてしまう軽蔑すべき対象となるのだ。こんなことを書くと当事者のお姫様たちが、「そんな言い方して、こわ~いっ!!」と甘ったるい、鼻にかかった声で「でも私はそんな女の子じゃないよ」と上目づかいで男性を見るような気がしてならない。はい、はいっ、勝手にやってくれよ。
しかし、ブリっこな女性を見ていても、そんな風にかわいく演じていることが愛おしい、騙されているのはわかっちゃいるが別にかまわないと思う男性は意外に多い。なぜ、仮面をかぶったような女性でも受け入れるのだろうか。男ってわからないわ~。鼻息荒くフェミニズム論を展開しそうになるので、このへんでブリっこの話は止めておく。
「女性目線」に隠された落とし穴
それにしても、相手が何を求めているかを考えるのはなかなか難しい。それこそ、テレビ業界で働く男性陣は、いつもそのことに頭を悩ませている。テレビのメイン視聴者層である30代から50代までの女性たちは、いったいテレビに何を求めているのか。どんな番組だったらチャンネルを変えずに見てくれるのか。永遠の命題です。
そうなると必然的に、女性目線で番組を考えてくれないだろうかといった依頼が、女性作家の元にくる。だが、これがクセモノ。同性である私たちだって、この答えはなかなか見つけられない。そこには同性同士のプライドがあるのかもしれない。たとえば、女性が喜びそうな企画を番組に盛り込んだとする。その結果、視聴率グラフも伸び、スタッフ一同万々歳となったとする。当然、「よし、この路線でしばらくやってみよう」と局プロデューサーは判断し、次週以降も続けることになる。がしかし、そこには落とし穴が隠されているのだ。
ブリっこのいやらしさ嗅ぎつけ嫌悪
視聴者の女性たちは、制作者の思惑以上に冷静に番組を見ている。そもそも、数多あるテレビ番組の中で、ひとつの番組に固執する理由など全くない。そして起きる「女性向け内容への反発」。制作者が考える「女性が喜びそうな」は、視聴者にとって「女性に媚びた」と受け取られてしまう。こうなってしまうと視聴率グラフは下落の一途。女性は自分たちに媚びているものには厳しく、手の平を返したように見向きしなくなる。そう、女性に媚びた番組は、女性たちにとってブリっこを嫌悪する感情に相通じるものがあって、たちまち番組から離れていってしまう。
そうしてエンドマークへと番組は進んでいく。ブリっこに騙されているとわかりながらふるまう男性のようにいかないのが女性。モニタリング、マーケティングをしてなかなか答えが見つからない、やはり命題だ。
ちなみに、女性はブリっこが他者に制裁されている姿を見るのは大好き。そのとき指摘するのがオネェキャラだったり、サバサバしている男性のような女性だったらなおさら。こういうことは、ちゃんと視聴率という数字も証明している。
モジョっこ