福島第1原発の事故で、避難区域に該当した住民は8万8000人。人口が1番多かったのは浪江町の2万1000人で、避難住民はいま44の都道府県で先の見えない日々を送っている。
その浪江町はこのほど「みんなで浪江町に戻るために」という宣言を出した。「このままでは町自体がなくなってしまう」という強い危機感から、もう1度みんなで町を作っていこうという意思表示である。
起草した玉川啓・行政運営班長は長期計画を作っていた。もともと原発の恩恵は薄かったから、原発に頼らない町づくりだったが、その原発に故郷を追われ、散り散りになった町民を再びまとめようというのだから、皮肉なものである。
仮設住宅「リトル浪江」で確かめ合う絆
浪江町はすでに仮設住宅づくりの段階から1つの構想を持っていた。仮庁舎のある二本松市に近い県北部に仮設住宅を集中させ、「リトル浪江」として住民の絆を保とうというものだ。今月初めの入居開始では、3か月ぶりに近所が顔を合わせ、「しばらくだな」「よかった」と再会を喜ぶ姿があった。
ただ、2800戸にはまだ空きが多い。明日が見えない中で、なかなか戻るふん切りがつかないのだ。どうしたら戻ってくれるか。町は同じ地域の人をまとめてコミュニティーを維持し、病気をかかえる人たちは病院に近いところをときめ細かい作業を進めている。
商工業の復活も宣言の大きな柱だ。町は企業団地を作って再開を支援する計画だが、町内600社のうち、まだ15社しか名乗りをあげていない。多くはすでに借り入れ金をかかえており、新たな工場立ち上げの費用が二重ローンになってしまうからだ。
祖父から続く鉄工所経営の八島貞之さんは先頃、避難後初めて一時帰宅が認められて工場を見に戻った。原発から8キロ。むろん防護服だ。これに「クローズアップ現代」が同行した。
工場は何事もなかったかのようだ。電気もつくし、パソコンも機械もちゃんと動いた。八島さんの車が盗まれていたが、「すぐにも再開できる」状態なのにできない。
「複雑ですね。運び出して、他所で成り立つかどうか」
従業員5人だが、みな再開を願っている。
町は独自に放射線「安全マップ」づくりも始めた。今月9日(2011年6月)、福島大の協力で浪江町内を測定して歩いた。線量の高いところも低いところもある。町役場のあたりは一段と低かった。測定を継続すれば「町民が将来を考える判断材料になる」と玉川さんは言う。