俳優の長門裕之さんが一昨日(2011年5月21日)、肺炎のために亡くなった。2月に脳出血で倒れ、復帰をめざしてリハビリ中だった。77歳。最愛の妻の南田洋子さんを失ってから1年半だった。
弟の津川雅彦(71) も「急だったので、びっくりして…。次の映画に出てもらうよと言ってあって、兄貴も『よしっ』と意欲をも燃やしてくれていたんですが」と言葉少なだ。
「太陽の季節」で2人主演
1956年の「太陽の季節」で共演した南田洋子と結婚、芸能界きってのおしどり夫婦として知られた。その南田が05年に認知症になったあとは、介護を続け映像を公開して話題になった。
子役時代から数えると70年におよぶスター生活だ。「太陽の季節」はいわずとしれた石原裕次郎が世に出た作品でもある。結婚15周年で、裕次郎が歌う「夜霧よ今夜も有難う」で2人が踊る映像があった。そのとき、「棺桶に入る時は、必ず洋子の手を握って死にたいなといま思いました」と長門は話している。南田の頬に涙…。いやあ、みんな若い。
「昭和九年会」の友人、藤村俊二(76) は、「洋子ちゃんのところへ行きたくなったんじゃないかな。寂しいですね、1人、2人とかけていくのは」と語る。先に児玉清さんが欠けたばかりだ。
司会の羽鳥慎一「画面で親しみをもってる人の訃報を伝えることが多い」
半ば身内みたいな石原良純は、「映画スターですからね。『おい、良純』なんて声をかけていただいて、恥ずかしいような…。それが…」
羽鳥「太陽の季節は、裕次郎さんが主役だと思ってる若い人が多い」
石原「(裕次郎は)ヨットの指南役と原作者の弟ということで手伝いに行って映画界に入るきっかけになった。主役は長門さんと南田さんで、そのとき『毎朝、南田さんを迎えにいったんだよ』と長門さんが言ってました」
南田洋子「認知症」放送されなかった旅シーン
映像は時に残酷だ。「(記憶が)手のすき間からボロボロ落ちていくのを、何とかかき集めて洋子の手のひらに乗せてやるんだけどさ…」と介護を語っていた74歳の長門 。キスをする若い日の2人。そして、最初に南田さんの異常をうかがわせた映像もあった。04年5月、夫婦で旅番組の収録中、食事をしながらの会話だ。
「あなたはどう思う?」
「え?」
「もういいわ。私をそういう嘘つきにするんだったらね、これからいっさい口きかない」
突然怒り出した南田に戸惑う長門。
また別のシーン。
「もし言うことがわからなくなったらどうすればいい?」
南田の目がきつい。
「そんなこと……」
「私はすごく考えちゃうの」
「……困ったもんだね」
どちらも放送されなかった。
その後、セリフが覚えられなくなって、「ワンワン泣きながら覚えた」と長門。 南田は表舞台から消えた。介護の映像は一層悲しい。
「愛してるよー」
「洋子もだよー」
南田がくも膜下出血で倒れた09年10月21日も、楽屋で死の知らせを聞いて、長門は舞台にあがった。そのあとの会見の様が、記憶に残る長門裕之の最後の姿だった。