島根・出雲の佐野操さん (90)はいま穏やかな日々だ。「前はよく(息子が)怒りよった。なに怒られたか忘れたが、いまはやさしくしてくれる」とニコニコ笑う。しかし、8か月前はこうじゃなかった。
1人暮らしだったが、3年前から物忘れがひどくなり、アルツハイマー型認知症と診断された。そこで2年前、大阪で働いていた息子の禎二さんが勤めをやめ戻ってきた。かつては几帳面な母親だっただけに、禎二さんは口やかましく指示をした。
「怒ってるつもりはないんですが、そこまで進んでるとは思わないから」
ところが、操さんに新たな症状が出た。時折訪ねてくる禎二さんの妻に、「通帳がないんだけど、あんたに預けたね」と言い出すなど、認知症に特有の「もの盗られ妄想」だった。思い通りにならないと大の字になって泣きわめく。
そして昨年9月のある朝、起きると操さんがいない。物置をのぞくと梁に腰ひもをかけて首を吊ろうとして いた。禎二さんに食べ方を注意された翌朝だった。
口で言う代わりに紙に書いて張ったら…
禎二さんは認知症治療30年の高橋幸男医師を訪ねた。高橋医師の聞き取りに操さんは、「たまには叱られてますけど」といった。キーワードだった。高橋さんの手元にある膨大な数の「手記」、これに必ずといっていいほど「家族に叱られる」が出てくる。強いストレスで、あるところを過ぎると爆発する。
認知症には記憶や思考力の減退という中核症状と、暴言、暴力、妄想、徘徊などの周辺症状がある。介護する家族を困らせるのは周辺症状だ。これがストレスの結果で、実は接し方で抑えることができると最近わかってきた。
操さんがおだやかになったのは、高橋医師が禎二さんに叱ること、強い口調、指示をやめさせた結果だった。口で言う代わりに、紙に書いてぺたぺたあちこちに貼る。文字は読めるからちゃんと理解する。その変わりようには、家族も驚く。本人も妄想などがなくなった。
認知症学会が進める「ニコニコリハビリ」
昨年の日本認知症学会で脳のメカニズムの研究が注目された。記憶をつかさどる海馬の萎縮はわかっているが、目から入る表情などの認識能力は残り、感情にもつながるというものだった。
カギは表情だ。さまざまな表情を見せて認識する度合いを調べると、笑顔がいちばんとわかった。自分の子どももわからない人でも、わずかな笑みは認識する。ここから残された能力を生かそうという試みが行われている。「ニコニコリハビリ」という。
顔の表情(にらめっこなどで表情を鍛える)、視線(目を合わせる)、ジェスチャー(動作の物真似)を組み合わせた訓練を、週2回4週間というプログラムで、劇的な効果をあげているという。番組では90歳の女性に笑顔が戻った例が紹介された。
群馬大の山口晴保教授は「言動を否定しない」「褒める(やる気が出てくる)」「役割を与える(生き甲斐になる)」の3つをあげる。
「ささいなひと言が自信につながる。歳をとるだけで不安と孤独感は増す。だから、大事なんだよという接し方が必要。褒めたら褒めた人もいい気持ちになれる」
番組を見ながら、なかば認知症だった父母のことがしきりに浮かんだ。たしかに叱ってばかりいた。つらかったのだろうな。「そういういい方はよくないよ」という母の声が耳に残る。さて次は自分の番か。
ヤンヤン
*NHKクローズアップ現代(2011年5月16日放送「私を叱らないで~脳科学で認知症ケアが変わる~」)