今週は、東日本大震災と原発事故関連以外では、キャンディーズの田中好子(55)の早すぎる死を多くの週刊誌が取り上げている。普通の女の子になりたいと、人気絶頂の時に引退してしまったアイドルグループの一人。その後、夏目雅子(急性骨髄性白血病で27歳で亡くなっている)の兄・小達一雄氏と結婚し、女優としても活躍していた彼女だが、1992年に乳がんかかっていたのだ。
私の友人の女性も30そこそこで乳がんにかかり、完治していたと思っていたら20年後に再発、50歳を過ぎたばかりで亡くなってしまった。他のがんとは違って、乳がんにはいつ再発するかわからない恐さがある。
彼女の葬儀では、死ぬ間際に吹き込んだ肉声が流され、気丈にふるまう夫・小達氏の姿が2000人を超える参会者の涙を誘った。そこへ「週刊女性」が爆弾を放った。小達氏には10年前ぐらいから続いている、現在40歳前後の愛人がいて、その彼女との間には「小学校高学年」くらいの女の子がいるというのだ。週刊女性によれば、「田中好子さんも勘づいていた」という。だとすれば、悲劇の裏にさらなる悲劇である。
目撃されたのは昨年の7月14日、成田空港のハワイ・ホノルル行きのゲート前。「パパ」と駆け寄る女の子に、「どれがいい」と小達氏は優しく声を掛けていた。二人のことをよく知る関係者は、「田中さん、探偵をつけたり、自ら張り込んだりもしたそうです」と話している。また、小達氏は母親に「オレの子供に会いたくないか、孫を抱いてみないか」といっていたそうだ。
「幸福な家庭はみんな似ているが、不幸な家庭はそれぞれ違う」(トルストイ)
キャンディーズの中で一番コロコロしていて明るく、幸せな家庭を持てそうだった田中好子の後半生は、端で見ているほど順調ではなかったようだ。
週刊ポスト新編集長「ジャーナリズム宣言」
この欄で何度か書いているが、「週刊現代」と「週刊文春」の売れ行きがいいようだ。現代は原発の恐ろしさを毎号訴え、文春は東京電力の腐敗した構造を暴き続けている。それに比べ、ライバルの「週刊ポスト」と「週刊新潮」は原発の恐ろしさを誇張しないほうがいいという立場をとるが、部数的には苦しいようだ。なかでもポストは編集長が替わり、新しい方向を模索しているようだったが、今週号は編集長が目指している方向性がはっきりと見えてきた号だと思う。
新連載マンガ「時男」は、第1回を見る限り、これまでのお色気路線を踏襲しているようだからいうべき言葉はない。だが、「オンリー・イエスタディ1986」にはビックリ。09年に休刊した文藝春秋の「諸君」の創刊からを、かつての編集長・白川浩司氏に書かせている(それも7ページ)。こうしたテーマを連載でやろうという心意気と、リードで「その時、言葉で時代をとらえ、また、時代を変えうる『論壇』というものがたしかに存在していた。現代日本と、われわれもその一翼を担う雑誌ジャーナリズムを考えるために、この連載をスタートする」という志がいい。
手前みそになって恐縮だが、私が現代編集長のとき、「ジャーナリズムの現場から」(略してジャナ現)という連載を立ち上げた。当時問題になっていた「差別語」「言葉狩り」など、ジャーナリズムのなかで問題になっているテーマを毎回取り上げ、検証していくページだったが、業界内では多少の注目を集めた。失礼だが、ポストはこれまでジャーナリズムなどという肩肘張ったいい方はしてこなかったが、これからはジャーナリズムの本道を歩むと宣言したようで心強い。
車谷長吉に比べれば西村賢太など「風呂の中の屁」
この他にも、ジャーナリスト青木理氏の連載は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で全身の自由が利かない難病にかかったにもかかわらず、眼球の動きで文字盤を追いながら部下に指示を与え続ける日本一の病院帝国を築きあげた徳田虎雄氏のルポである。
「現場の磁力」で取り上げているのは、私の好きな私(わたくし)小説家・車谷長吉氏である。彼の生き様に比べれば、最近、芥川賞をとった西村賢太氏などは「風呂の中の屁みたいな」なものである。氏へのインタビューを試みているのだが、ほとんど沈黙。最後、私小説を書かないのですかという質問に、「書か、ない。ひとのも、読ま、ない」「ぼけたい」。週刊誌にこういうページがあることが嬉しくなる。
佐野眞一氏が孫正義氏にインタビューしている「私欲に非ず」も注目。個人的には孫氏は好きな企業家ではないが、今回の中で、政府や東電の対応のまずさを批判している箇所は的を射ている。
「今回でいえば僕は徹底的に放射能問題を調べて公表すべきだったと思う」
「完全に政府のミスといえるのは、例えば、原子力安全・保安院が発表した安全基準がIAEA(国際原子力機関)とはまったく違う、日本独自のモノサシだったことです。(中略)IAEAの基準は土地の表層部分で、1平方メートルあたりの放射性物質を計測する。ところが保安院はわざわざ地面を5センチ掘り、採取した土壌1キログラムあたりの放射線量を測る。放射線は表面に付着するんだから、掘って測れば、10分の1くらいになってしまうじゃないですか。ある種の偽装、粉飾です」
「臆病だといわれるくらい、思い切った退却をして、安全を確認してから戻ってきても全然遅くない。ところが今回のように、避難地域を徐々に小出しにしていくやり方は、一番最低のやり方ですよ」
孫氏は朝鮮人であるために子供の頃差別を受けていたが、福島の人たちへの放射能差別問題を聞かれてこう答えている。
「レッテル、しかも負のレッテルを貼られたときの辛さというのは、貼られた側じゃないとわからないですよね。で、貼るほうはあまり罪の意識がないんです。貼られて初めて感じる心の痛みがある」
ポストは難しい方向へ舵を切ったが、雑誌ジャーナリズムが再び力をもつことができるのか、注目して見ていきたい。
まるでアテにならないガイガーカウンター数値
ところで、一時品不足になっていたガイガーカウンター(正式名称はガイガー・ミュラー計数管=以下カウンター)だが、これの計測値がメーカーによっても、同種の器械でも違いがあるということをご存知だろうか。カウンターには国際標準もなければJIS規格もない。今使われているカウンターは相当古い測定方式で、世界的に見ても明確な定義がない。CMC規格で高性能などと謳っているカウンターもあるが、少なくとも日本でそうした規格はないと、この分野に詳しい知人が話してくれた。
だから、自社でカウンターをつくった場合は、(財)放射線計測協会などで「確認校正」を受けるだけなのだ。確認校正とは不思議な言葉だが、要は1マイクロシーベルトの放射能を出す物質に作ったカウンターを向け、正しく表示されればいいというだけなのだと友人の会社社長から聞いた。
さらにセンサーを上に向けるか下に向けるかで数値は違ってくるし、中のガスの量を減らすことで数値を低く抑えることも簡単にできるそうだ。政府が数字をごまかしているとは思いたくないが、いま公表されている放射線量の数値自体が信じられないとしたら、福島県民だけではなく、国民は何を信じたらいいのだろう。
最後に、AKB48のスキャンダルを追及していた文春だが、今号にはAKB48のグラビアが巻頭からズラッと載っている。何かあったのかな?