「助けることはできなかったんですか」
司会のみのもんたが問いかける。東電・福島第1原発から20キロ圏内の警戒区域内に残された家畜のことだ。
ビニールを食べようとしている牛がいる。大半は衰弱して死んでいる。養豚場のブタは全滅状態。死体に挟まれて動けなくなっている豚もいた。今月初め、現場に入ったフリーカメラマンの太田康介は、「まるで地獄でした。家畜は悲惨のひと言です」と語る。
チェルノブイリ、新潟中越地震では救出
福島県は死んだ家畜を消石灰で消毒し、衰弱した家畜は所有者の了解を得て殺処分することにしている。畜産農家にとっては牛や豚は家族同然だ。
「一定の範囲で一律に処分されるのは残念でならない」
「声もかけてやれなかった。ごめんなさいという気持ちでいっぱいだ」
そんな複雑な思いを打ち明ける。
2004年の新潟県中越地震では、孤立した旧山古志村から1227頭の生存していた牛をすべてヘリコプターで救出した。延べ飛行回数440回。費用は1億5000万円かかった。空を飛んだ牛はいまも農場で生存している。ロシアのチェルノブイリでも30キロ圏内の牛1万3000頭、豚3000頭が人間と一緒に1100台のトラックで避難した。
今回、福島原発から20キロ圏内には4000頭の牛と3万頭の豚が飼育されていた。農林水産省の担当者は「ロシアのような広大な土地があれば移動させることができたかもしれないが、日本の場合は山があって、適当な牧草地が見つからないのが実情。心が痛むが、いい手段がなかった」と話している。
文
一ツ石| 似顔絵 池田マコト