今週いちばん目を惹いたタイトルは「週刊アサヒ芸能」の「『被災地の性』新聞・TVはなぜ報じない!」だ。なぜ報じないかといわれても、大メディア側は戸惑ばかりうだろうが、この目の付け所はいい。
多くの若者たちがプライバシーのない避難所で不自由な暮らしをしている。着る物と食料が少し足りてくれば、昨今の草食系でも、性欲は自ずから湧いてくる。瓦礫の撤去を行っている自衛隊員も同じであろう。
「内陸の小規模な避難所近辺には、いっときの気晴らしに使ったと思われるエロ本が散乱。周辺にはティッシュも落ちていた」とあるし、仙台市内のラブホテル密集地では、自衛隊員や救援活動のボランティアのなかに、ホテルで一息ついてデリヘル嬢を呼ぶ人もあるという。
地震や津波で家が半壊状態だが、かろうじて住んでいる女性たちを狙ったレイプが横行していると、宮城県内のタクシー運転手が話している。事実、4月7日(2011年)の深夜に起きた余震で停電になった岩手県盛岡市内で、「停電でオートロックが外れているなどのオープンな状態で、それに乗じて入りこんだ」(捜査関係者)29歳の会社員が、女子学生を暴行したとして逮捕される事件が起きている。これなどは氷山の一角で、事態はもっと深刻なのではないか。
タイトルのわりには内容が貧弱で物足りないが、週刊誌にしかできない視点の記事である。興味本位ではなく、もっとじっくり取材して、被災した若者たちの本音や、被災地で起きている性犯罪の実態を告発していく記事を期待したい。
週刊誌は「ならず者ジャーナリズム」。新聞やテレビが報じることができない「事実」をどんどん書いていくべきだ。 同号に、「福島第一原発での作業員募集」に記者が「覚悟の志願」をしたという記事もある。だが、結局、募集先が怪しげなところで、仕事にはありつけなかったようだが、このような体を張った取材をする(原発構内で作業することは『放射線管理手帳』が必要で、簡単にはできないそうだ)ことで、見えてくることがあるはずである。
原発事故が長期化しているため、「原発列島ニッポンの恐怖」(週刊現代)的な記事は多いものの、各誌それぞれ工夫を凝らした誌面が見られるようになってきている。
「がんばって」「一人じゃない」なんてムカつく
現代は先週号で被災地の海に潜ったグラビア特集「水中特撮 海の中に沈んでいた家族の歴史」をやり話題になったが、今週も三陸の海に生きているほややウニ、ヒトデなどの写真を掲載している。
「フライデー」は「独占内部撮!」と謳って福島第二原発の倒壊現場を載せているが、すさまじいまでの惨状である。第二原発は第一原発と指呼のところにある。枝野官房長官は「原子炉が冷温停止した福島第二原発について『重大事故が発生するリスクが相当程度低下してきている』として、避難指示区域の縮小を表明。現在の10キロから8キロに変更する」(4月21日asahi.comより)そうだが、だいじょうぶなのだろうか。
原発危機には冷静に対応すべきだと主張している「週刊ポスト」は、「『がんばって』と言うな!」に注目。日本中に「がんばって」「一人じゃない」という善意と応援のメッセージがあふれているが、こうした言葉を被災者たちがどう受け止めているのか、考えてみようというものである。
他人事だから「頑張って」なんていえるのだ。聞くとムカついてくるという30代の男性。期待をもたせる言葉はいらない。一人じゃないなんて甘いことより、むしろもうダメならダメとはっきり言ってほしいという50代女性。好評なCM「あいさつの魔法」の歌が流れるとすぐにテレビを消す。CMを見ると、俺の目の前で津波に巻き込まれていった家族の姿が甦るという40代男性。
「日本人一人一人がこの未曾有の危機を我が事として捉え、『がんばろう日本』と口にすることは大切だ。しかし、日本語は難しい。『非被災者』が被災者に同じ言葉を語りかけた瞬間、意味合いは違ったものになってくる。(中略)私たちはそれを複雑な思いで受け止める被災者がいることに、鈍感であってはならない」
ポストいいこというじゃないか。編集長の肩を叩いてやりたくなる記事である。