福島第1原発から20キロ圏内の不明者の捜索が先々週から始まっている。放射能汚染の危険からこれまで手つかずという、もうひとつの悲劇だ。17日(2011年4月)までに168人 が見つかったが、これに参加した機動隊員が初めて捜索の模様を語った。
「5歳くらいの男の子のはだしで逃げた姿」
「5歳くらいの男の子がいました。はだしで逃げた姿。捜索していても、『いないでくれ』という気持ちもあった」
警視庁第1機動隊の福田竜太巡査長(29)はこう話す。防護服で250人態勢で6日から13日までの8日間、1日の活動時間は7時間前後。積算放射線量が3~5マイクロシーベルトになった。
「すき間を全部粘着テープでふさいで、さらにマスク、ゴーグルをつける。(防護服は)紙ですね。薄いです、非常に。作業中に破れたりしてたんで、ガムテープで補強したり」
朝の隊長の指示は「1人でも多くの行方不明者を発見する。自分の故郷を捜索するつもりでやろう」というものだった。しかし、そこで隊員たちは想像を絶する光景に出くわした。
「車の後部座席であったり、トラクターに乗ったそのままとか。やっと見つけられて、家族のもとに帰ってくださいとお祈りしました」
いずれも津波の犠牲者だが、津波から1か 月以上だ。「避難区域」で家族すら立ち入りできず、なす術がなかった。今回の捜索も、警視庁、福島県警の警察官は被曝の危険をおかしてのもの。頭がさがる。
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト