福島第1原発から7キロほど離れた浪江町海岸沿いで14日(2011年4月)、震災後初めて福島県警による行方不明者の捜索が行われた。
津波の被害に襲われた翌朝、原発事故で避難指示が出されて近寄ることができなかったが、放射線量が一応安定していることから捜索に踏み切ったという。捜索に参加した警察官は300人。全員が放射線防護服を着用し、放射線計測器で注意しながら作業だ。この日は10人の遺体が見つかった。
「翌日には仲間みんなで捜しに…」
ようやく捜索にこぎつけたことについて、松本光弘県警本部長は次のよう語った。
「行方不明の皆さまを捜したい。でもこれまで来られなかったという心の痛みというのが、われわれ福島県警も福島県民でありますので、あります」
消防団員として町民の避難を助け、かろうじて津波から逃れられた男性は、「原発問題がなければ、翌日には仲間みんなで捜索ができ、助けられた人がいたと思う。悔しい」と語る。
キャスターのテリー伊藤がこんな無念な思いを招いた政府の避難指示の出し方について問題提起した。
「僕がもし家族だとしたら、次の日に捜索していたら、生きて見つけられたかも知れないという思いはあると思う。それを思うと、退避指示をあの時点で出したのは本当によかったのかどうか考えてしまう」
大混乱で判断停止した政府
福島第1原発に津波が襲ったのは11日午後3時40分ごろ。この時に原発の緊急炉心冷却システムがすべて停止した。午後9時23分、政府は第1原発から半径3キロ以内の住民に避難指示、3~10キロ以内の住民に屋内退避指示を出したが、この時点ではまだ放射能漏れは確認されていなかった。
放射能を含む格納容器内の空気の放出を決め、避難指示を半径10キロ圏に拡大した翌朝までまだ間があったが、政府は大混乱して、行方不明者の捜索に頭が回るほどの余裕はもはやなかったようだ。
文
モンブラン| 似顔絵 池田マコト