故郷がなくなる!福島・浪江町「終わり見えない原発避難生活」

建築予定地やご希望の地域の工務店へ一括無料資料請求

   筆者は東北っ子である。オヤジの実家は岩手・一の関で、オフクロは大船渡出身。あの3月11日(2011年)、大津波にのまれたオジの一人は、海岸から数キロ沖合で遺体となって発見された。そして、昨夜(4月7日)午後11時半過ぎ、大地震が東北地方を襲った。気象庁によれば、東日本大震災の余震で、規模はマグニチュード7・4。宮城県は震度6強で、大船渡市は震度6弱だった。残っている叔父たちや従兄弟は無事か。いまだ携帯も固定電話もつながらない。

「事業復興の融資」申請却下

   「クローズアップ現代」は原発事故で「町ごと消滅」の危機に追い込まれている福島県・浪江町の商工会議所青年部の経営者たちを追った。国谷裕子キャスターは「家に戻りたくても、避難指示が出ているので戻れない。地震と津波、そして原発事故と避難者の数は8万人近くにもおよび、いつこの状態が解除されるのかという見通しは全く立っていません」と厳しい現状を語る。

   青年部のリーダ格である建設関係の八島貞之さんはこう話す。

「震災時は福島原発の補修作業をしていた。一瞬でコンクリートが崩れ、白い粉のように舞い上がってしばらくは何も見えなくなってしまった」

   八島さんは事業再開のために資金融資を申請しようとしたが、ハローワークの杓子定規な対応や行政の規則によって却下されてしまった。

   青年部のメンバーのクレーンドライバーは声を詰まらせる。

「とにかく逃げた。広いところではなく、より高い所に逃げた。いまは親しかった仲間を捜しに行きたい。でも、避難指示が出ているので町には入れない。本当に悔しい」

   旧ソ連時代に起きたチェルノブイリ原発事故を長年調査してきた長野県・諏訪中央病院の鎌田實名誉院長は、「こういう毅然とした態度で原発事故に向き合っている若い人がいるのかと思うと胸が熱くなりますね。それに比べて、行政の、書類1枚がないから資金の融資は認められないなどという対応には納得できない」と怒る。

姉妹サイト