20の国と地域から東北の被災地に駆け付けてくれた海外の支援部隊。ほとんどのチームが3月末までに帰国したが、その中でまだ活動している国がある。トルコの救援隊とイスラエル国防軍の医療チームだ。「スッキリ!!」はこの2つのチームを密着取材した。
「1999年の大地震で日本に助けられた」
3月19日(2011年)から宮城県利府町にテントを張り、瓦礫の撤去や安否不明者の捜索に従事しているトルコの救援隊。ハイパーレスキュー隊員や医療関係者など総勢33人いるが、すべてボランティアだ。この日も散乱する瓦礫の中からアルバムを見つけ、町役場に届け出た。こうして見つかったアルバムなどの貴重品は、被災者のために役場に展示されている。
ここで知人の写真を見つけたという被災者の女性は、「こんな遠くの日本まで来て下さって。一つひとつの思い出を集めて下さって、非常にありがたいです」と感謝する。
それにしても、なぜトルコの救援隊がここまでやってくれるのか。それにはわけがある。1999年のトルコの大地震の際に、日本からレスキュー隊員や医師ら68人が救援に駆け付けた。大阪で留学体験があり、日本語が達者なハサン・コルリラックは、「あの時、日本に手助けしてもらった。そのお返しをしたいとやってきた」のだという。
さらに、ハサンさんは「トルコと日本の関係をこれからももっと深めたかったし、友好な感じで共に将来を歩いて行くことができればいいと思っている」と話す。
ちょっとした総合病院
宮城県南三陸町で3月28日から医療活動を続けているのがイスラエル国防軍の医療チームだ。それも半端じゃない。内科や外科はじめ、小児科、産科、耳鼻科、眼科の専門医師の総勢60人が、X線検査やエコー検査もできる機器を持ち込んでおり、ちょっとした病院がそのまま移動してきた感じだ。
イスラエル大使館の担当官はこう話す。
「お手伝いできることがうれしいし、日本の文化に触れることはとても興味深い。医療チームにとっても特別な体験です」
司会の加藤浩次「イスラエルの医療チームと日本とはどういう関係なんですか」
コメンテーターのおおたわ史絵(内科医)が「医療の世界ではイスラエルは先進国なんです。カプセルでできた胃カメラなどを発明したのはイスラエル。国がこういうチームを即座に作れるのはすごく重要で、日本はこういうところはすごく弱い」という。
イスラエル支援チームのすごさは、抑圧され、虐殺されながらも、漂泊先の社会で医療や学問を通じて足跡を残したユダヤの歴史をちょっぴり想起させる。