1960年代いまの1万倍も放射能汚染―「だから大丈夫」という胡散臭い話

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   清水正孝社長の入院で陣頭に立つことになった東京電力の勝俣恒久会長が、きのう(2011年3月30日)初めて会見した。福島第一原発1~4号機の「廃止」を明言し、現状を「一応の安定をみることができた」とした。

   これに原子力安全委員会は「圧力容器についても何らかの損傷がある」と、これまでの保安院の見解を否定、「事故は終息していないし、予断は許さないと思うのが普通で、それに対応するのが事業者の責任だ」と厳しい見解を示した。

   安全委員会がなぜいまごろ出てきたのかはともかく、言っていることは東電や保安院よりはまともだ。

   「圧力容器が壊れてる?」というみのもんた(司会)に、諸葛宗男・東大特任教授は「汚染水のなかに圧力容器内部の成分がみつかっているし、放射線量からいってもそう判断せざるをえない」という。

「私らその空気を吸って、お米を食べて育ってきた」

   みのが突然、「明日から4月ですよね。稲作への影響はないんですか」と聞く。待ってましたとばかりに、諸葛教授がグラフを出した。何かと思ったら、1960年代からの大気中の放射性セシウムの測定結果だった。

「当時はいまより1万倍も高い値だった」

   みの「???」

   諸葛「核実験をバンバンやってましたからね。当時中学生くらいだったあなた(みの)もわたしも、その空気を吸って、 お米を食べて育ってきた」

   みの「……」

   グラフで1か所だけピッと高くなっているのが、チェルノブイリのとき。そして今回も高いピークになっている。

   諸葛「高くていいということはないが、全く心配することはないんです」

   みのより年配の人たちなら先刻ご承知のことだが、あらためて数字を見せられるとギョッとする。この野郎という思いと、人間は丈夫なんだという複雑な思い。そう、われわれはたっぷり吸い込んできたんですよ。

   とはいえ、この数字を出すのなら、なぜ野菜や牛乳汚染の発表の時に出さなかったのか。出し方にどことなくうさん臭さを感じてしまうのは、へそが曲がってるんだろうか。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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