避難所になった旅館の女将「誰かを待つのではなく…」
集落の被災者たちが逃げ込み、そのまま避難場所として使われている旅館がある。釜石随一の景勝地といわれる根浜地区にある「宝来館」。津波から逃れた80人が這いつくばるように次々と駆け込んできた。ところが、ここも水道や電気などライフラインが寸断され、道路や電話も使えない陸の孤島になってしまった。
水や食料が底をつくなか、皆で手分けして集落を回って瓦礫の中から埋もれたコメを集めた。泥まみれのコメは風呂の残り湯で洗い、沸かし直した湯で炊き、少しずつ分け合った。
女将の岩崎昭子は言う。
「誰かを待つのではなくて、食材を探すチーム、かまどを用意したりガスボンベを探すチーム、動ける人は励まし合って動いた。支援物資が届くようになった4日目まで、こうした絆が命をつないだ。
ここからどう再生していくか、悲しみもいっぱいだけど、夢を持って自分たちで作っていかなきゃいけないだろうね。人に作ってもらった町じゃいけないだろうから…」
2億円かけて新築したばかりの事務所を津波に破壊されながら再建を誓う経営者もいる。水産加工会社を経営する小野昭男さんは、震災時は商談のため東京にいた。地元に帰れたのは5日後の19日だった。
幸い、100人いる従業員はみな無事だった。気がかりだった中国人実習生12人も、高台にあった寮でわずかな食料を分け合い食いつないでいた。ただ、新築の事務所のほか、2か所ある工場の一つは全壊した。もはや小野に中国人実習生を受け入れる余力はなく「5年たったら釜石は復活するから、その時また笑顔で再会しよう」と帰国させることに決めた。小野はいま、従業員の給料支払いに国の助成金制度を活用して時間を稼ぎながら、会社をどう再構築するか取り組み始めている。