「町は自分たちで作り直す」釜石・被災者の覚悟と自信

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   壊滅的な被害を受けた町や村、そして集落。いまだ東北関東大地震の被災状況は全容がつかめない。彼岸が過ぎてもなお寒波が追い打ちをかける避難所での不自由な暮らしのなか、被災者たちは見通しの立たない深刻な現実をどう受け止め、立ち向かおうとしているのだろうか。

   「クローズアップ現代」は2年前、製鉄所の減産・リストラの直撃を受ける企業城下町の岩手県釜石市を訪れ、街の活性化に挑む人たちを取材していた。今回、この街を再び訪れ、変わり果てた姿を伝えた。しかし、そこで見たものは、現実を正面から受け止め立ち向かっていこうとする人びとの気魄、明朗さだった。

「これが今は本宅」車に寝泊まりして奔走する市職員

   釜石市は人口4万人のうち震災で573人を亡くし、まだ600人が行方不明、6000人近い人が66か所の避難所で暮らしている。市庁舎が津波で水没したため、市の観光施設に災害対策本部を設けて常時50人の職員が住民の安否確認や被災状況の把握に追われている。

   その被災者のために、不眠不休で奔走している市職員の一人が、市産業振興部次長の佐々隆治さん(56)だった。家族は無事だったが、自宅は消失し、残ったのは車1台だけ。「これが本宅ですよ」と笑う。

   2年前に佐々は、市の基幹産業だった製鉄所の減産・リストラという危機を乗り越えるため新たな企業誘致に奔走していた。努力は震災で水泡に帰しすべてが変わった。

   中継が繋がった佐々に、キャスターの国谷裕子が「被災者の方たちのあらゆる要望を聞いて、夜は車中の中で寝ているということですが、体力的に大丈夫ですか」と聞く。

「今を凌げばというのがあって、今日どう生きるか、どういう部分で対応していくかがいまの現状です」(佐々)

   気がかりは被災者たちが住む仮設住宅の建設という。市が所有する土地だけではまかないきれず、企業と交渉を続けている。

   もう一つ心配なのは、避難所は高齢者が多く介護の部分が大きいこと。

「市の女子職員が昼夜兼行で頑張っているが、彼女たちの健康が心配です」
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