震災から2週間を経た被災地。食料などの支援物資が届きはじめが、電気などのライフラインはほとんど止まったままだ。そんな不自由な避難所暮らしに耐えながらも、「ここを離れたくない」という被災者が多いという。大村正樹リポーターがそうした人の多い岩手県釜石市を取材した。
仮設住宅は大幅遅れ
釜石市は20日(2011年3月)から仮設住宅の建設を開始する予定だったが、ガソリン不足で資材を搬入するトラックが動けず延期した。ようやく24日になって、市営グランドで仮設住宅の建設が始まったが、今度は重機を動かす軽油があと3日分しかないという。
大村によると、「ガソリン不足は今週末から来週にかけて何とか解消される見通しだが、重機を動かす軽油となると…」と見通しゼロの状態だという。
これではいつになったら仮設住宅ができるのかわからない。そこで市は「既存の住宅」「仮設住宅」「一時的な他所への疎開」という3つの選択肢を用意して希望を募ったところ、圧倒的に仮設住宅希望が多く、一時的疎開はほとんど希望者がいなかった。
「住み慣れている。都会生活は…」
電気などのライフラインは止まったままだし、寒波に包まれても灯油不足でストーブも付かない。相変わらず余震が頻発してストレスもたまる。それでも不自由な避難所暮らしを続けながら、仮設住宅を待つのはなぜなのか。被災者たちはこう話す。
「やっぱりここが住み慣れている。息子は来いというが、都会生活は…」(高齢の男性)
「全壊してしまえばあきらめがつくけど、形が残っているので…」(中年の主婦)
「(また地震があるかもしれないけれど)ここにいたい」(女子中学生)
「親爺がまだ見つかっていないし、行動するにも余裕がない」(中年男性)
スタジオの小倉智昭キャスター「身内の方の安否が確認できないまま離れるのはキツイですよね」
市では仮設住宅を1万戸建設する予定というが、完成しても入居期間は2年間と決まっている。2年後はどうするのか、その見通しもたたないが、それでも故郷の釜石にいたいのだ。