東日本大震災は16日(2011年3月)朝までに確認された死者・不明の合計が1万1521人 になった。宮城では県内だけで1万人を超える見通しだ。各地で避難生活を送る人の数も46万人にのぼる。
岩手・大槌町で地震から92時間ぶりに75歳 の女性が救出されたが、救助した人たちも「これからの活動のはげみになる」と喜んだ。また、1万人の安否が不明だった宮城・南三陸町では、2000人が無事であることがわかった。
しかし、助かった人たちも自分が無事だことを肉親に伝えるすべがなかったり、よそから肉親の安否を訪ねる人たちもいる。ようやく設置された移動携帯基地で無事を伝え、身内の悲報に涙にくれる。「1人1分1件のみ厳守」という張り紙が悲しい。
「長男と嫁、連絡ください」
南三陸町の避難所で「朝ズバッ!」がカメラを「訪ね人」に提供した。次々に訴える声は悲痛だ。
「○○です。姉を捜しています」
「ボクは無事でした。岡田小にいます」
「こちらは みな無事ですが、△△さんが……」
「妻と2人で元気でいます」
「××さんの安否がわかったら教えて」
「生きてたら連絡ください」
「長男と嫁、連絡ください」
孫の写真を見せる男性のわきで妻が泣き崩れた。
司会のみのもんたは「5日も経って!」と絶句したが、避難所や医療機関への支援がほとんどないという訴えだった。水、ガソリン、薬、懐中電灯、灯油、赤ちゃんのおむつ、 衣類などすべてが底をつき始めている。一部では昨夜から雪になった。
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト