「コント55号」の坂上二郎さんが亡くなった。脳梗塞、76歳だった。相方だった萩本欽一さん(69)は富山で、羽田で、カメラの前で語った。
「コント55号の幕を開けて、二郎さんは 1人で幕を閉めてっちゃった」
「泣きたいけども、テレビの前で泣きたくない。二郎さんはボクだけのものだから」
二郎さんは鹿児島生まれ。19歳 で上京して歌手を目指したが成功せず、コメディアンに転ずる。1966年にコンビができた。
「コンビでやらないって声をかけてくれたのが二郎さん」
はじめは、ボケと突っ込みが逆で受けなかったと聞いたことがある。欽ちゃんの突っ込みと二郎さんのボケは動きが激しい。しばしばテレビカメラからはみ出す。「飛びます、飛びます」のギャグは子どもも真似た。
コント55号は映画にも進出、74年からは二郎さんは単独で歌も出し、時代劇などドラマにも出演した。TBSの「夜明けの刑事」では主演をつとめ、75年には欽ちゃんと「ぴったしカンカン」
「車イスでもいいといわれてカチンときた」
「二郎さんから文句を聞いたことがない。愚痴もない。オレが困ると『いいよ、オレ にまかしとけ。欽ちゃん好きなようにやりなよ、オレ黙って一生懸命ついていくよ』って、ほんと楽しいコント人生、笑い人生だった」
コント活動の一時休止を経て、二郎さんは映画などで活躍していたが、03年にゴルフ中に軽度の脳梗塞に襲われ左半身の障害が残った。しかし07年にイベントに登場。そのとき二郎さんは「欽ちゃんが車イスでもいいからというので、カチンときて意地でもとリハビリやったんです」と笑わせた。欽ちゃんは「舞台やるよ。治さないと舞台大変だよといったら、次の日、奥さんから電話でリハビリがんばると」と振り返った。
そうして復帰したのが09年1月。欽ちゃんが用意した二郎さんの役は仙人。ただ、舞台の上から下へ歩いて行くだけ。途中で「何もしません」といって笑わせたが、その姿に観客は涙した。
このとき欽ちゃんは客席に向かってこんなふうに言ったものだ。
「はじめ二郎さんは何も言わなかった。そうしたら、客席から 『二郎さん』『二郎さん』と声がかかって、大きな拍手をいただいて、二郎さん日に日に元気になって、だんだんしゃべるようになった。いまじゃやかましくてしょうがない」
「ボクを治してくれたのはお客さんの拍手だっていってた」とも話す。
萩本「飛びますできる?」、坂上「飛べません」
昨年8月に再び倒れ、欽ちゃんが最後に見舞ったとき、「飛びます、できる?」と話しかけると、ベッドの上に体を起こして「飛べません」といって笑った。そして別れ際、握手を求めてきた。
「初めてだった。がんばるぞの握手だと思ったが、さよならの握手だった。二郎さんというより、ジロちゃん。(手を合わせて)拍手、感謝、それから恩人。ありがとう二郎さん」
司会のみのもんた「ひとつの時代を、とよく言うけど、ずっと残るものですよね」
吉川美代子(TBS解説委員)「野球拳が……」(笑い)