「誰よりパパやママはあなたに会いたくて頑張ったからと伝えたい」
出産から2か月がたって野田聖子議員はこう話す。子どもはまだNICU(新生児特定集中治療室)に入っているが、野田は仕事に復帰、常に搾乳器を持ち歩いているという。子宮摘出という自分の病も癒えたのか、中野美奈子アナのインタビューに我が子への思いなどを淡々と語った。
出産前に分かった「1万人に1人の異常」
14回の体外受精の失敗の末、50歳でようやく男児を出産。喜びも束の間、胎児に次々見つかる重い病。ようやく出産したが、今度は自らも子宮摘出。そして世間からのバッシング。そんな野田の口から再三出たことばは『覚悟』だった。
――自分のおなかで産みたいという思いが野田さんの中であったということですよね。
「自分の血液を通じて栄養を子供に送って、完全ではないけれど、自分のできる限りの力で子供を育てたいなと。妊娠検査薬で陽性が出たときには、身も心もジャンプしました。うれしかった」
しかし、妊娠3か月目(2010年8月)に子どもの腹部に水溜りのようなものができ、肝臓も飛び出すという異常が見つかった。1万人に1人といわれる?帯ヘルニア。さらに心臓や食道にも異常が見つかった。
――そのとき、どういうお気持ちだったのですか。
「息子のあるがままを事前に知ることができて、心の準備をしなくてはと考えましたね。わりとくよくよ悩まずに…」
――ご主人はそのこと対してどういうお考えだったんでしょう。
「親のエゴで勝手に産んだんじゃないかと思われたくない、と言っていっていましたね」
「ババアのくせに」
辛かったのは胎児の病気だけではなく、その後の世間からのバッシングに苦しんだという。
――どういうことを言われたのが一番辛かったですか。
「たとえば、50歳ですから、『ババアのくせに』とか。私が言いたいのは、(自分のやり方を)決してお勧めしているわけではない。息子というかけがえのない人に出会ったけれど、すべての人にどうぞという話ではない。それをわかってもらいたいです」
――我が子に卵子提供を受け授かったことを話しますか。
「中野さんと話しているのも録画しておいて、息子に見せたいと思ってます。卵子提供という形で生まれたことを誇りに思ってもらいたい」
日本では体外受精は保険がきかないとか、費用が高いなどの壁が高い。
デーブ・スペクター「法律を作る立場にいるんだから、ぜひ保険などの問題に取り組んでほしい。それでいい子どもが増えれば、それに越したことはないんですから」
文
モンブラン| 似顔絵 池田マコト