リビアの内乱状態が続く。 隣国エジプトの政変を受けて3週間前、東部のベンガジに始まった反政府デモは瞬く間に全土に波及し、一時は首都トリポリを除く主要都市を反体制派が支配するまでになった。
しかし、最高指導者のカダフィ大佐は徹底抗戦を叫び、傭兵を主とする治安部隊、精鋭部隊に空軍まで動員して一部の都市を奪還。軍の一部は市民の側につき、これに一般の志願兵も加わって各地で激しい戦闘が続いている。これまでに犠牲者は1000人を超すとみられる。
政府はネットを遮断し、外国メディアの取材も制限して情報を統制したが、市民がこれを突き破った。衝突の生々しい映像をメモリカードに納め、200キロ離れたエジプト国境まで運び、映像はその日のうちに世界中に流れた。
いまベンガジでは連日集会が続き、暫定政権樹立のための国民評議会結成に動いている。もともと反トリポリの気風が強く、200人もの犠牲者を前に、市民は「カダフィと話し合う余地はない」「独裁者は去れ」と公然と叫ぶ。また、軍の指揮官も「われわれは国を守る。傭兵とは違う」と、反カダフィを鮮明にしている。
「中東の狂犬」はおいしい投資先
リビアの現体制は1969年、カダフィ大佐がクーデターで王制を倒して以来、40年以上も続く独裁である。直接民主主義と称して憲法も議会もなく、傭兵の治安部隊で民衆を押さえ込む恐怖政治を敷いてきた。
埋蔵量世界8位という石油による豊富な資金をバックに反米を標榜し、テロ支援や核開発にまで手を染めて「中東の狂犬」といわれた。1988年にはパンナム機爆破事件(死者270人)を起こし、米軍による報復爆撃や国連制裁を受けても平然としていたが、03年にころりと変わった。イラク戦争である。
サダム・フセインの崩壊を目の当たりにして、カダフィは核放棄と引き替えに、権力維持、国際社会への復帰というアメリカの提案をのんだ。交渉の窓口になったのが当時の英・ブレア首相だ。
そのころリビアの石油は埋蔵量の7割がまだ手つかずで、ブレア首相はここに切り込んで、秘密交渉の末、英の石油会社が次々と油田開発の権利を獲得。欧州諸国もこれに続いた。
リビアはロンドンに拠点をかまえて、6兆円ともいわれる資金を不動産や株に投資し、メディア支援まで行う。英国は軍事支援で応え、特殊部隊(SAS)がリビア軍を訓練したり、武器の多くを供給した。 これがいま批判を浴びている。武器が市民弾圧に使われているのが明らかだからだ。
池内恵・東大准教授は「03年以降、欧州諸国のリビア依存が強くなった。石油輸入だけでなく、投資先としても欠かせないからです」という。リビアの先行きに自国の利益がかかる。問題は内乱がどちらへ向かうかだ。