<遺恨あり――明治十三年 最後の仇討ち(テレビ朝日系2月26日)> こういう骨太のドラマはいい。実話をもとにした吉村昭の原作の力強さが際立っていた。時代劇はほとんどNHKの大河しかないような現状で、民放でこういうしっかりした大作を作ってくれると、まずはうれしい。
父母を惨殺された少年と下女
時は明治と改元されるわずか4か月前の慶応4年5月。九州の小藩、秋月藩の執政・臼井亘理(豊原功補)の屋敷に、ある晩、若手藩士たちが乱入、亘理と妻を斬殺。守旧派の国家老(石橋蓮司)にそそのかされた過激攘夷派の藩士たちが開国派の亘理を襲ったのだ。
幕末もどん詰まりのこの時期、日本中がてんやわんや、各地の藩でこういう争いが繰り広げられていたのだろう。だって、武士階級にとっては、長年の既得権を失うかもしれない瀬戸際なんだもの。もうパニック状態だったにちがいない。それに比べれば、現在、各地の自治体で起こっている既得権をめぐる騒動などはぬるま湯のようなものかも。
当時11歳だった亘理の息子・六郎(藤原竜也)が見たのは、血に染まった母の遺体と、傍らで泣く妹の姿だった。さらに布に包まれた父の生首が塀越しに投げ込まれる。六郎は仇討ちを決意する。そしてもうひとり、物陰から惨劇を目撃、犯人の顔を見た使用人の少女・なか(松下奈緒)も、共に仇討ちを心に誓う。この2人の主従や男女を越えた絆が胸を打つ。
「武士の道」が一転非合法化
仇を突き止め剣の修行をするが、時代は変わり、明治6年に仇討ち禁止令が出されてしまう。今まで「武士の道」として勧められていたものが、一転、ただの「謀殺」として死罪相当となったのだ。
だが、六郎の無念を晴らさずにおくものかという思いは変わらない。一方、2人の犯人のひとり、一瀬(小澤征悦)は東京に出て判事となる。この一瀬の心中もさりげなく描かれているのがドラマに深みを与えている。
表情をあまり変えない藤原竜也の演技が、かえって内面の激情を感じさせて緊迫感をもたらした。その厳しさがあったから、目的を果たし、虚脱して故郷の廃家に戻った六郎を静かに出迎えたなかを見た時の微かな表情の動きが、印象的になってくる。ああ、よかった。これからは2人で残りの人生を穏やかに送ってほしいと心から思った。
ただひとつ、幼かった妹はその後どうなったか全然出てこないのが気になった。
カモノ・ハシ