元プロ野球選手で野球解説者の大島康徳が、3月3日(2011年)のブログで、2月28日に85歳で亡くなった与那嶺要の思い出を語っている。
ウォーリーの愛称で親しまれた与那嶺は1972年から6年間、中日ドラゴンズの監督をつとめた。入団4年目の大島がレギュラーに定着しはじめたころで、師の影響はとくに大きかった。
元アメフト選手の与那嶺からは、走塁の技術、強烈なタックルなど、当時の日本球界にはまったく浸透していなかった技術を教わった。「強い当たり」や「上手い走塁」の指導、それからケガをしない方法も。
また、今では当たり前となっている「帰塁の時は後頭部から首筋にかかる部分を両手で覆いなさい」、本塁へのスライディングは「『滑る』のではなく『蹴りなさい』」と教えてくれたのも与那嶺だ。当時としては画期的なことばかりだったという。
「いっぱい叱られもしたけれど、ホームパーティーに呼んでいただいたり、楽しい思い出もいっぱいあります」
大島にとって、与那嶺に出会えたことは大きい。プロ野球選手として最も重要な時期に出会えたから、2000本安打を達成できたし、今の自分がある。別れは寂しいけれど、「ウォーリー、さようなら。そして、ありがとうございました」と感謝の言葉を寄せている。