大地震に見舞われたニュージーランドのクライストチャーチは、きょう(2011年2月25日)で発生から4日目。ようやく規制が解けて、現地取材をしている奥平邦彦キャスターが市の中心部に入った。
崩れた大聖堂、折れた尖塔の先が道路の真ん中に転がっている。下敷きになった人はいなかっただろうか。「まるでゴーストタウンです」と奥平。まさに映像がそれを物語る。
これまでのところ、この地震での死者は113人、 不明者は228人。不明者のうち日本人が27人である。日本人語学研修が開講されていたCTVビルはのがれきと化している。ここできのう47人の遺体が収容された。発表では、外見で個人を特定できない状態だという。
軽症で救出された黒田奈瑠美さん(19) が「朝ズバッ!」に恐怖の瞬間を語った。
「カフェテリアの窓の近くにいました。突然底が抜けて、全部落ちていった。気が付いたら、この状態(と横になる様)倒れていました。電気もない真っ暗の中、あたりに8人ほどいましたが、私のクッションになっている子がパニックで、暗い、怖い、痛いと叫んでいました。1時間ほどして外から救助隊の声が聞こえてきたので、ヘルプと叫んだんです」
いまはリッチモンドのホストファミリーにいるが、左足(ナレーションでは右足だと)に腫れはあるが、骨折はなかった。まだ仲間10人が不明と聞き、「どうしよう」と涙ぐんだ。
「私はラッキーだった。助けられたというより、助かってしまった」
「もうしょうがないと。感覚もなかった」
もう1人、右足を切断した奥田建人さん(19)は病院のベッドで話した。
「最初、普通に揺れて、どんどん強くなって、倒れた時は一瞬だった。床が抜け、がれきの下敷きで周囲は真っ暗でした。右足をはさまれて痛かった。叫んでいる人がいっぱいて、近くの仲間と落ち着こうなどとしゃべって、 時には助けてといったりしました」
希望はもっていた。富山の兄に携帯電話で助けを求めたら、その後ニュージーランドの警察からかかってきた。「英語だったので、先生(救出された亀遊知子さん)に代わってもらった」
12時間後、がれきが取り除かれたが、右足を切るといわれた。
「もうしょうがないと。感覚もなかったし」
あとは覚えていない。
「手術中に目を開けたら、明るくて、外国人がいて、また寝てしまった」
高校時代はサッカー部のキャプテンだった。
「生きてます。それだけをいいたい」
まだ続く救出作業。不明の仲間に「自分も怖かったんで、早く助かってほしい」
司会のみのもんた「がれきの間で、足の切断手術…。余震もあるでしょうに」
黒田さんがカフェテリアの見取り図と座っていた位置を描いた。黒田さんは崩れなかったエレベータコアからいちばん遠い窓際。亀遊先生は少し離れた内側のテーブルにいた。まだ救出されない人たちはどこにいたのか。まさに運命だ。
みの「望みを持って、救出を待ちましょう」