今回はこんな言葉から始めてみます。
「俺らの世代が頑張らないと、ダメだと思って。世の中を変えていかなくちゃ」
学園ものと刑事ものばかりの冬のテレビドラマでも、こんな熱い台詞はなかなか聞けないんじゃないだろうか。ベタだ。あまりにも久しぶりでかえって新鮮な印象すら受ける。こんなことを真顔で言われると、「スゴ~い!そんなこと考えているんだ~!」とこれまたベタな返しをすることしかできなかった。
でも、悔しい。自分が目先ばかりにとらわれて、「日本のテレビ業界を変えてやるんだ!自分の作品で世の中をアッといわせてやる!」という思いをどこかに置き忘れて、携わる垂れ流しメディア同様、自分の熱意も垂れ流していたのを思い知らされた。
スウェーデンでボトルデザイン
さて、この言葉の主は、現在山口県で地酒メーカーの代表取締役を務めている秋山剛志氏という同年齢の男の子。男の子という言葉を30歳すぎに使うのはどうかと思うが、ちょうどおっさんへ変貌しつつある(責任感が自然としみついているようなという意味で)転換期のような雰囲気があるのだ。そう、同年というのがまた悔しさと衝撃の一因。
秋山氏は1度廃業した地酒を再建するために奔走している。なんでも、江戸時代から続く地酒を祖父が引き継いだものの、父親は別事業に携わっており、そのとき秋山家に伝統を受け継ぐことができる人はいなかった。ニューヨークで広告代理店に勤務していた秋山氏は、再建するのは自分しかいないと広告マンを辞めて帰国。地元山口県で製造を中断していた日本酒作りを再開した。
その酒造メーカーは山口県美祢市にある大嶺酒造。話だけを聞いていると、地方の小さな日本酒メーカーがヒーヒー言いながら、昔ながらの瓶にラベルを貼って青色吐息のように思える。だが、この熱い若社長はやることが違った。さすがNY帰りなのか、目を海外へ向けたのである。それも「山口から東京、そして世界へ」ではなく「山口から世界へ」。
市場が縮小していく一方の日本酒業界。そこで国内ではなく世界に自社ブランドのイメージ戦略から始めたのだ。出しているブランドは「Ohmine」。アルファベット表記からもわかる通り、いわゆる日本酒のイメージを覆す商品パッケージに変えたのだ。
若社長が向かったのはスウェーデン。単身で乗り込み、デザイナーと直談判をした。相手は世界的に著名なデザイン集団らしく、交渉を重ねパッケージデザインを了承してもらったという。ボトルはセラミックでコーティングされた純白なデザイン。素材は固いようで柔らかいフォルムを保ち、手にとった時にしっくりとなじむ。そこに黒く切り取られたお米のシルエットが象徴的にあしらわれている。パっと見ただけではそれが日本酒であるとはだれも思わないであろう。江戸時代から地元の人々に愛飲されてきたものを彼は画期的に変貌させたのだ。