8日(2011年1月)に73歳で亡くなった元フジテレビ・プロデューサー横沢彪さんの通夜がきのう(13日)行われ、芸能人らおよそ1000人が参列した。
人気お笑い番組「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも」で、タモリ、ビートたけし、明石家さんま、笑福亭鶴瓶など多くの芸能人を育て、いまにつながる「お笑い仕掛人」だった。
95年にフジを退社して吉本興業東京支社長になったが、05年に悪性リンパ腫がわかり闘病生活になった。 しかし、本サイト「J-CAST」にコラムを連載するなど、テレビ界を見守る目は衰えることはなかった。横澤コラムは昨年末まで続いた。
島田紳助「天国でまた漫才ブームの準備しておいて」
遺影は生前に自分が決め、いかにも「横沢さん」といった笑顔だ。その笑顔の前で、参列者はこもごも思いを語った。
兵藤ゆき「怒った顔、しかめっ面を見たことがない。いつもニコニコ」
つのだひろ「どんな曲かを作ればいいのかと聞くと、『曲を書くのが商売なんだから、あなたが考えなさい』と言われた。ボクなんか使いにくい者を取り上げるのは希有なこと。遺影にありがとうございましたと、ずっと言い続けた」
小宮孝泰「他のチャンネルに出ていたのに、ひょうきん族に呼んでいただいた」
松本明子「仕事がなくてさまよっているときに横沢さんに拾っていただいた。あれがなかったらバラエティーでがんばれなかったと思います」
山村美智アナ「個性のある方の中で悩んでいたら、芸能人でもタレントでもない局アナなんだからそれでいいと。そうなんだと思った。アナウンサーの基本のキを教えられた」
松尾貴史「わけわからないところがいいんだから、わけわかるような人にはなるなよと言われた。『君はわかんない人だからいいんだ』と」
タモリはおととい自宅で対面したというが、新聞には「夜の番組にしか出せないといわれた私を、昼の番組に起用してくれた」と話していた。
島田紳助もコメントを寄せた。
「23歳のとき、漫才ブームの前夜、梅田・花月に来ていただいたのをきのうのように思い出す。ブームが終わった後も『そろそろ本気だしてよ』と何度もいわれた。天国でまた漫才ブームの準備をしておいてください。今度はちゃんとやりますから」
司会の加藤浩次は「お仕事で一緒はないですけど、ボクなんかの若手の楽屋にまできて、『どういうことやりたいの』なんて普通に聞いてくれるやさしい人でしたね」
キャスターのテリー伊藤も因縁を語った。
「ボクが『元気の出るテレビ』をやったとき、ほめられてうれしかった。凄いと思ったのは、やめて1人になった後も、『面白い人がいるから見てよ』なんて、66歳、67歳になってもボクらに頭を下げたりしてた。こういう人になれるかなーと思う。凄い人だった」
棺には取材ノートやテレビ雑誌などがおさめられた。