今年のノーベル物理学賞を受賞した英国マンチェスター大のアンドレ・ガイム博士は、2000年のイグ・ノーベル賞(物理学賞)の受賞者だ。本物の方は、原子1個分の薄さの炭素シート(グラフェン)を作った功績だが、イグの方は「生きたカエルの浮遊」だった。
物理学では、磁力だけで物体を安定的に浮かすことはできないとされる。それは間違いだと、超伝導磁石を使って生きたカエルを宙に浮かせてみせた。動かない物体は浮かないが、生きたカエルは動く。宙に浮いてもがくカエルはユーモラスだった。
10年かけて落ちる1滴を観察
イグ・ノーベル賞のイグ(ig)とは、否定の意味と品がないという意味がある。選考基準は①笑わせること②考えさせることの2つだ。創設者の科学雑誌編集長、マーク・エイブラハムズさんは、「もっと笑って、もっと考えてほしい。楽しさが好奇心を生み、好奇心は科学の本質だ」という。受賞した研究はどれも知的好奇心からの限界・常識への挑戦である。
1991年から200以上の研究が受賞している。そのなかで最も気の長い研究が、05年のクイーンズランド大学(物理学賞)によるもの。石炭のピッチは見たところ固体だが、長い間には液体のようになるという。ロートに乗せたピッチは液体のように垂れてくるが、1滴落ちるのに10年かかる。1927年に最初に実験を始めた教授はとうに死去している。「まだだれも落ちる瞬間を見ていない。あと100年は実験しないと」
カナダのトロイ・ハートバイスさんは98年に安全技術賞を受けた。熊に襲われそうになった経験から、熊用防護服を作った。特殊な衝撃吸収材などあらゆる技術を組み込んだ宇宙服みたいなものだ。自ら着込んで実験する。トラッ クにはねられ、鉄棒でなぐられ、自身は吹っ飛んでも衝撃はないという。ただし、「試してはいけません」
ドクター中松も05年に受賞
日本人もいる。金属研究の金沢大・広瀬幸雄名誉教授は、学生時代から兼六園の銅像にトリのフンが付いていないのが不思議だった。37年後にその銅像の成分を調べたところ、猛毒のヒ素が普通の5倍以上も含まれていた。同じ成分の合金を作ったら、 ハトが寄りつかなかった。これでフン害防止策が見つかったと03年の化学賞。
ドクター中松こと中松義郎さんは、05年の栄養学賞を受けた。42歳の厄年を機に、食事の写真を撮り、健康状態とのチェックを始めた。それを34年間続けた結果、体調は3日前の食事に左右されるという結論を導いた。チェックはいまも続いている。
2度も受賞したのが、公立はこだて未来大学の中垣俊之教授だ。生物の情報処理の研究者だが、粘菌という単細胞生物に知性の片鱗があると生物学の根源に切り込んだ。粘菌に迷路をたどらせると、いくつかある選択肢のなかで最短距離を選択した。これで08年の認知科学賞。次に、関東地方の地図の東京に粘菌を置き、主要都市36か所にエサを置いたところ、鉄道と同じルートをたどって1日で全都市に到達した。ルートをカットすると、迂回路をたどる。これで今年度の交通輸送計画賞を受けた。
中垣教授はさらに、粘菌の予測、記憶能力にまで踏み込んで、「知性の原型がある。知性とは何かを物質科学として解明したい」という。
サイエンスライターの竹内薫さんは、「2つの賞に共通するのは、知的好奇心。イグの方は童心の、ノーベル賞は大人の…。子どものもつワクワク、ドキドキ感を保ち続けることがノーベル賞にもつながる。ガイム博士がいい例です」という。
そのガイム博士は「10%は自分が面白いものに、90%は役立つものに」といっているそうだ。問題は、10%に向かう心だろう。思い詰めて笑いを忘れると、その10%の余裕もつくれまい。
ヤンヤン
*NHKクローズアップ現代(2010年12月13日放送「笑って考える!?イグ・ノーベル賞」)