作詞の巨星の「不器用」論 あの名曲に秘められた思い

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   寅さんでお馴染みの「男はつらいよ」や水前寺清子の代表曲「三百六十五歩のマーチ」など、人生の応援歌で親しまれた作詞家・星野哲郎氏(85歳)が今(11)月15日に心不全で死去した。

   作詞家としてのデビューは1953年、腎臓結核で入院していた病床からの雑誌への投稿がきっかけとなった。そして、59年に「黄色いさくらんぼ」が大ヒット。その後、「函館の女(ひと)」や「アンコ椿は恋の花」などを手がけ、これまでの作品数は4800曲ともいわれる歌謡界きってのヒットメーカーとなった。

努力から出る「人間としての味」

   スパモニでは星野の逝去を惜しみ特集を放送。生前のインタビューを中心にその人となりを取り上げた。メインコメンテーターの山口一臣・週刊朝日編集長は若いときの自分を振り返り「『男なら人のやれないことをやれ』」という歌詞に何度勇気づけられたことか」と語れば、ゲストの長島一茂(元プロ野球選手)は「大学生時代によく先輩から『三歩進んで二歩去がる』と言うが、お前は三歩進んで四歩去がるタイプだなとよくいわれたものです」と、昔を懐かしむ。また、木場弘子(元TBSアナウンサー)も「色々な曲から、自分で切り開いて進んで行くということを教えられました」と星野を惜しんだ。

   星野は生前、作詞家としてのあり方を問われると「不器用な人ほど努力する。そこから人間としての味が出る」と語り、「僕が詩を作るというよりも、相手が作らせてくれているんです」とも話している。

   山口は「手がけた作品数は4800曲と言われていますが、未発表曲がまだ1000曲近くあるそうです。僕たちがよく耳にしていた曲はその上澄みを聞いていたのです」

   昭和の巨星がまたひとつ消えた。

文   ナオジン| 似顔絵 池田マコト
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