星がまた一つ消えた。辛いとき、哀しいとき、思わず口ずさむ歌の文句。そんな歌を数多く作ってくれた作詞家、星野哲郎(本名・有近哲郎)が85歳で人生の幕を閉じた。
「函館の女(ひと)」(北島三郎)、「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)、「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)、「男はつらいよ」(渥美清)、「みだれ髪」(美空ひばり)…。
もともとは高等商船学校を卒業し遠洋漁業船に乗っていた船乗りだったが、腎臓結核を患い下船。療養中に作詞の勉強をしてデビューしたのが27歳だった。
よされよされと雪が降る
司会のみのもんたが星野の歌の味がわかるのはここでは俺しかいないとばかり、熱弁をふるった。
「戦後ずっと星野さんの歌とともに歩いてきたようなところがありますね」と言いながら、作曲家の船村徹とのゴールデンコンビで作った「風雪ながれ旅」(北島三郎)が流れるなかで次のように話し続ける
「ふつうは書けないような、出てこないような台詞なんですよ。最初の台詞をしみじみ聞いてくださいよ。流れ、流れ、生きていくって大変なことだなって…」
♪破れ単衣に 三味線だけば よされ よされと 雪が降る
♪泣きの十六 短い指に 息を吹きかけ 越えてきた
時間切れにみの「もっとしゃべりたいんですけど」
手がけた作詞は4000曲以上。戦後、豊かさを求めて駆け登ってきた時代に、多くの日本人がその一つひとつの歌に共鳴し、励まされ、癒され、元気づけてもらった。
星野は作詞への思い入れを自著のなかで次のように語っていると番組が紹介した。
「挫折があるから人は強くなれる。挫折があるから人は優しくなれる。転んでも立ち上がる。それがボクの『人生の応援歌』の真髄である」
文
モンブラン| 似顔絵 池田マコト